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「ビジョナリーとしての迫力、目の力や声の大きさで緊張感を漂わせる一方、気さくなところもあり、人間としての永守さんに魅了された」(経済誌記者)
「ニデックのような大企業のトップでも取材を申し込むとすぐに応じてくれた。便利と言っては申し訳ないが、とてもありがたい存在だった」(放送記者OB)
「永守さんは敵と味方をはっきり区別して味方とみるや親身に話をしてくれる。永守さんに嫌われまいとして迎合してしまうのは、仕方がないこと」(全国紙デスク)
永守氏にじかに接したメディアの記者らは、そろって賛辞を口にする。1973年の創業から一代で売り上げ2兆円規模の世界的モーターメーカーに育て上げた手腕は、確かに誰も否定できないだろう。しかし、22年9月、日産自動車から招かれた関潤氏が永守氏と衝突し、事実上退任に追い込まれた頃、日本電産のガバナンスのあり方を問う報道が雑誌メディアで相次いだ。
退職した元役員の絶望を招いた報道
そんな中、22年10月14日の日経に、新たに社長となった小部博志氏(現会長)の単独インタビューが掲載された。小部氏は日本電産創業以来、永守氏と苦楽を共にし、永守氏が「55年間付き合い知り尽くし、絶対的信頼がある」と述べた人物である。
「大企業から来た人たちは頭で仕事する。私は体で仕事する」
インタビュー記事で、小部氏は外部出身の社長、つまり関氏の下で企業文化が薄れたとの認識を示し、日本電産の企業文化の復活に向けて「社長の給与を従業員との懇親会費用に充てる」と語っていた。週3回のペースで社員と昼食や夕食を共にして、創業当時の苦労話を聞かせて企業文化を取り戻すとも述べている。
当時、日本電産で役員の大量退職が相次いでいたことについては、〈同社は外部出身の人材を能力に応じて登用しており、もともと役員クラスの人材の流動性が高い〉と記者が解説したうえで、それら役員の退職や異動は、「家庭の事情や体調不良によるもの」とする小部氏の説明をそのまま伝えた。




















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