結婚の翌年には長男が生まれ、50歳のとき、山田さんの出身地の隣町に自宅を建てた。
家業の農地へもすぐに行くことができるエリアだ。社交的な妻は、移住してからの4年間でどんどん交友関係を広げていった。新居の近所にも妻の友人が大勢住んでいたため、妻にとっても理想的な場所だった。

山田さんはCGグラフィックによって長らく建築分野に携わってきたこともあり、自宅を一から創造することは「いつか成し遂げてみたいこと」の一つだった。50歳にして、その夢を叶えることができたのだ。
同時多発の「変化」が負荷に
さらに引っ越しの半年後、家業の製茶業を正式に法人化。高齢になってきた父親から引き継ぐための下地作りとして、この頃から製茶業のブランディングに一層注力するようになった。
一方で、CGグラフィック制作の仕事は徐々に受注数が減少。アフターコロナの影響で、発注元の企業の内製化が進んだことが原因だった。
慣れない「幼児と乳児の子育て」がスタートし、80歳まで続く住宅ローンの返済開始、課題が山積みの家業、CGグラフィック制作会社の業績不振。元々パワフルでどんな状況も乗り越えてきた山田さんだが、多方向から一気に負荷がかかり続けたことで、精神のバランスを崩してしまった。
後編『「53歳で第3子誕生」「同時期に住宅ローン開始と経営難」男性を襲った”産後うつ”と”中年の危機”。回復のきっかけとなった周囲からの”ある言葉”とは?』では山田さんを襲った「産後うつ」と回復の道のり、子育てに奮闘する現在を聞いた。
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