朝ドラ【あんぱん】やなせたかし、94歳でも仕事を続けた信条は「全部自分の子ども」 《アンパンマンが売れて収入10倍も、叶わなかった妻との約束》
よほど楽しかったのだろう。妻の暢がそんなことを口にした。やなせは「そうか、じゃ、もう一度この会場でやるから、その時は君の友達を全員招待しよう」と言ったが、その約束を果たす日が来ることはなかった。
妻を亡くしても人生の最期まで描き続けた
時に平成5(1993)年11月22日、暢は75歳で生涯を閉じる。最愛の妻を亡くしたやなせは茫然自失となり、夜も眠れずに精神安定剤を飲み、食欲もなくなってしまったという。
それでも、やなせはアンパンマンを描き続けた。むしろ、さらに忙しくなったといってよいだろう。
驚くべきことに、その創作意欲は90歳を超えても衰えなかった。平成25(2013)年7月6日に行われた劇場版アニメ『それいけ!アンパンマン とばせ! 希望のハンカチ』の初日舞台挨拶では「死ぬまで一生懸命やるんだよ」と語っている。このとき94歳だった。
だが、その年の8月に入院。2カ月後の10月13日に、やなせはこの世を去った。
大切な人を亡くしてからも精力的に創作を続けられたのは、なぜだったのか。ラジオのインタビューで、やなせはこんなふうに語っている。
「僕のところはね、子どもがいないんですね。でもね、子どもの仕事をしていますでしょう。つまり、今いる子どもたちが全部自分の子どもっていうか、そういうような感じなんですね。ですから、子どものためにはね、やっぱり、子どもたちがちゃんと育っていくように、いろんなことを僕ら大人はやっていかなくちゃいけない。責任があると思う」
人生の最期まで「アンパンマン」のために身を削った、やなせたかし。世界中すべての子供たちへの思いが、創作の原動力だった。
(完)
【参考文献】
やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』(PHP研究所)
やなせたかし『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)
やなせたかし『アンパンマンの遺書』 (岩波現代文庫)
梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』 (文春文庫)
真山知幸『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)
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