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朝ドラ【あんぱん】やなせたかし、94歳でも仕事を続けた信条は「全部自分の子ども」 《アンパンマンが売れて収入10倍も、叶わなかった妻との約束》

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  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)
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「カミさんは、ぼくにとってはなくてはならない人だった。四十数年苦労をわかちあった戦友だった」

アニメの放送から5カ月後の平成元(1989)年3月、「アンパンマン」が文化庁の優秀番組賞を受賞すると、やなせ自身も平成2(1990)年6月、日本漫画家協会大賞を受賞している。

選者が漫画家たちとあって、やなせの喜びもひとしおだったようだ。「正直いってこの受賞はうれしかった。暗夜の光という感じだった」と当時の思いを、のちに語っている。

そしてこの受賞をきっかけに、インタビューや取材の申し込みが殺到。アンパンマンの絵本が通算1000万部を突破したり、日本テレビの局長賞を二度受賞したりと、快進撃はとどまることを知らず、収入も「いきなり十倍ぐらいに増えた」と明かしている。

収入が10倍になっても変わらなかった暮し

だが、それでもやなせの生活は何も変わらなかったようだ。

「冬の季節があまりにも長かったので、もう老人になってしまっていたぼくは別に浮かれることもなかったし、お金は銀行に振りこまれたので、現金は見たことがなく、生活は少しも変らず、カミさんに月に20万ほどのこづかいをもらってあいかわらずの質素な暮しだった」

平成3(1991)年4月29日春の叙勲で、勲四等瑞宝章を受賞。家中がお祝いの花だらけになり、祝電も次から次へと舞い込んできたので、お礼のパーティを開くことになった。赤坂プリンスホテルで「アンパンマンの勲章を観る会」を開催している。

やなせは会の進行・構成をすべて自身で担ったばかりか、はりぼてのアンパンマン・カーに乗って登場するなど、大いに会を盛り上げたようだ。事前にわざわざ伊勢丹の手品売場へ行ってマジック・ステッキを買い、当日にみなの前で手品を披露したりもした。

「こんなに面白いパーティだと思わなかった。私の友達を招待すればよかった」

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【妻と約束を交わす】

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