就職氷河期真っ只中に万全の対策で大手企業内定→いろいろあって40歳で一橋大学院に進学した野心的な彼女が次に見据える目標

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田中麻衣子さんは1980年に、岐阜県で公立高校の教員の両親のもと生まれ育ちました。小さいころから「先生の子ども」だった田中さんは、中学受験はほぼない地域であったものの、大学に進学することは既定路線という環境だったそうです。公立の小・中学校までは、「成績はそれなりによい優等生だった」と語ります。

田中さんの学区では、地名に方角がつく普通科の高校が4つあり、学力は北東南西の順番でした。自分も周囲も、学区で1番賢い子がいく「北高」に行くものだと思っていましたが、結局進学したのは2番手だった「東」だったそうです。

その理由として、中学2年生で成績がピークを迎え、中学3年生で伸び悩んでしまったことがありました。

「自分は万能で、なんでもできると思っていたけど、井の中の蛙でした。中2の終わりごろに受けた大学進学塾の入塾テストの点数がとてもよかったのですが、そこで力尽きましたね。それに加えて、3年生になって周囲も受験勉強をはじめたために、自身の成績が伸び悩んだのだと思います」

高校時代は超劣等生

地区で2番目の「東」に進学した田中さん。

しかし、定期テストでは赤点だらけの超劣等生で、週2回ほど実施される英単語の小テストすら追試を受けていたようで、高校に向かうモチベーションは皆勤賞を目指すことのみでした。

「勉強が嫌でやろうという気持ちになれず、一番悪かったときは学年320人中で310番台でした。高校3年間、とにかく私の暗黒時代。学習にも仲間にもとにかく何も見いだせない期間でした。ただ、このままじゃ大学に行けない、行っても絶対楽しくない。その危機感だけはありました」

高校3年生の夏を過ぎた田中さんは発奮し、受験勉強をしようと考えます。その理由は「ここから抜け出したい」というものでした。

「野球部のマネージャーがしたい、経済や経営の勉強がしたいとの思いから国立大学の経済・商学系の学部に進学しようと思いました」

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