「受け入れるべき。ただし、かつてのように」…五木寛之が看破した【外国人労働者問題】の本当の論点

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方言が地方単位ではなく、実際には村の中でも集落ごとに異なるように、日本人というものもひとくくりにはできない。

ご質問の答えにはまったくなっていませんが、「日本とは何か?」という問いに対して自分の実感を言葉にすれば、やはりこういうことになってしまうのです。

「日本の都」を作り上げたのは外国から来た人々

【問】近年、外国人労働者の受け入れ拡大のニュースが大きな話題となっています。現代の外国人労働者問題、ひいては移民問題をどのように見ていますか?
【答】外国人は受け入れるべき。ただし、かつてのように

先ほどもご紹介した『日本人のこころ1』という本の中で、大阪を再生させるためのアイデアとして「より多くの外国人を生活者として積極的に受け入れる」「外国の人たちが過半数を占めていて、そこで生活しているというような環境をつくりだす」と書きました。

そうした考え方は現在でも変わっておらず、日本は外国からどんどん人を受け入れるべきだと思っています。

ただ、私が言うところの外国人の受け入れと、いま、国で議論されている話は、趣旨が根本的に異なります。

歴史を振り返ってみると、かつての日本にとって、外国は先進国であり、外国からやってくる人びとは美術工芸や土木工事の技術を持っていたり、特別な知識や情報を持っている、言うなればエリートでした。

先日、京都の西陣に行く機会があったのですが、あそこの人たちのルーツをたどっていくと、大陸から渡ってきた秦氏(はたうじ)に行き着きます。

その他の伝統的な文化や産業のほとんども、その源流は大陸半島経由の渡来人にあります。

われわれは京都を「日本の古都」「日本の伝統文化が残っているところ」と思いがちですが、当時の最先端の知識、技術、文物を伝え、日本の都を作り上げたのは、ほかでもない外国からやってきた人びとなのです。

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