中国で《抗日映画》が“興収500億円超え”のヒット。鑑賞後に「子どもが日本アニメのカードを破り捨てた」との報道も…。戦争と教育を考える
さらに、戦争映画が観客の涙や怒りを掻き立てることで興行収入を上げる構造は、教育的価値よりも感情の消費を優先しているようにも映る。そこには「記憶の継承」と「恨みの再生産」の境界が曖昧になる危険がある。
もちろん、過去の加害を直視することは、日本にとっても避けてはならない課題だ。しかし、それは「憎しみを与えること」ではなく、「共感と理解を育むこと」であるべきだ。子供の涙が「怒り」や「拒絶」に変わるとき、教育の本質は失われる。
『南京写真館』をめぐる議論は、私たちに問いを投げかけている。次世代に、どのような姿勢で歴史を伝えるのか。子供の涙が、恨みの再生産につながらないために──記憶の語り方をもう一度見つめ直す必要があるのではないか。
筆者も幼少期に多くの抗日映画を見た
1970〜80年代の中国抗日映画は、教育や啓蒙、そして国民統合の手段として機能していた。学校では「歴史を学ぶ窓」として活用され、集団記憶の形成にも大きく寄与した。
子どもの頃、私は数多くの抗日映画を見た。なかでも強く印象に残っているのは『小兵張嘎』(1963年)だ。子どもの視点から描かれる抗日戦争の物語で、主人公の少年兵は八路軍(日中戦争時に華北で活動していた中国共産党軍の通称)に加わり、敵と巧みに渡り合う姿は超人のように見えた。
しかし、その映画体験は思いがけない影を落とした。大人になってから、来日当初の私はテレビで日本国旗を見るたび、思わぬ不安に襲われていたことに気がついたのだ。抗日映画の中で日本国旗は「侵略」「残酷」といった概念と結びついており、恐怖の象徴として刷り込まれていたからだ。
その印象を塗り替えてくれたのが、日本の新年に行われる二つの国民行事、「新年一般参賀」と「箱根駅伝」だった。
初めて多くの日本国旗を目にしたのは、ある年の1月2日。皇居前には早朝から長い列ができ、参賀者たちが小さな日の丸を手に静かに並んでいた。その光景に、国旗と人々の心のつながりを感じた瞬間から、私の中で「日の丸」は変わり始めた。もはや映画の中の威圧的な象徴ではなく、人々が自然に触れるものとして近しい存在になっていった。
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