「そうめん調理は重労働」→「付け合わせがない人は育ちが悪い」論点すり替えでSNSが大荒れ…何気ない投稿に日本中がヒートアップしたワケ
漠然とした不安を抱え、心に余裕のない人が、自らのコメントによって、ますます生きづらい社会にしているところに危うさを感じてしまいます。
漠然とした不安をやわらげるために必要なのは、その内容を感覚ではなく具象化し、自分ができるレベルの一歩だけでも踏み出すこと。それができれば、ネット上のどちらでもいい些細なことにコメントし、ついマウントを取ってしまうことはなくなるでしょう。
マウントを取られた「多数派の怖さ」
議論がヒートアップした3つ目のポイントは、無用な対立構造を生み出そうとするネガティブな連帯感。
Xを見ていて最も多かったのが、「そうめんに付け合わせは必要か」「なくてもいいけど、付けるなら何か」という観点からのコメントでした。差別意識のようなものはなく、地域の習慣による違いをあげるなど、気軽に意見交換できるネットのよさを感じさせられたのです。
しかし、時間の経過とともに、「『そうめんの付け合わせがない人は育ちが悪い』という言う人はけしからん」という不満や怒りの声が増えていきました。
「そんなことはない」という結論がほぼ出ているようなテーマであるにもかかわらず、このような不満や怒りの声が増えてしまったのはネガティブな連帯感が発生したからでしょう。
焦点は、そうめんの付け合わせがない人が、そうめんの付け合わせがある人に対して、「そんなことでマウントを取ろうとするな」と、逆にバカにするようなニュアンスが感じられたこと。
こうなると強いのは、マウントを取られた多数派であり、さほどマウントを取るつもりのなかった少数派を過剰に叩くようなコメントが増え、思わぬ盛り上がりにつながってしまいました。
それを象徴していたのが下記のツイート。
「そうめんの付け合わせがない家は育ちが悪いというツイートが流れてきて、人の家の飯を小馬鹿にするのは育ちが悪いなと思った」
最もリツイートされていたのはこのコメントであり、真偽不明の伝聞をもとにネガティブなムードが広がっていく危うさがうかがえたのです。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら