「そうめん調理は重労働」→「付け合わせがない人は育ちが悪い」論点すり替えでSNSが大荒れ…何気ない投稿に日本中がヒートアップしたワケ
もし他人の食事について語るとしても、本人の努力では変えられない「何を食べて育ったか」ではなく、本人の努力で変えられる「どのような食べ方か」を対象にするのが自然でしょう。
“漠然とした不安”が無用な書き込みに
議論がヒートアップした2つ目のポイントは、どちらでもいい些細なことでも、ついマウントを取り合ってしまう社会のムード。
差別意識の自覚がなくても、優劣や勝敗、上下や大小、順番や序列などには敏感で、「自分より劣っている人を見て安心したい」という心理傾向の人が少なくありません。
特にネット上では「不安をやわらげるために、自分より劣っていそうな人を見つけてコメントを書き込んで無意識にマウントを取る」というケースがよく見られます。
すると、そのつもりはなくてもコメントには上から目線のニュアンスがにじんでしまい、思わぬ批判を受けることがしばしばあります。
今回のそうめんの付け合わせに関しても、優劣のないものに優劣を見出したことに選民意識を感じられてしまい、反響が大きくなっていった感がありました。
では、なぜどちらでもいい些細なことでもマウントを取ってしまうのか。日ごろ、コンサルタントとしてお悩み相談を受けていると、漠然とした不安を抱え、心の余裕がない人ほど優劣や勝敗などに敏感で、些細なことでもマウントを取ってしまう傾向が見られました。
自分を守ろうとする防衛本能のようなものでしょうが、どちらでもいい些細なことだけにそのマウントは不安軽減にはつながりません。
さらに無記名のネット上だからこその無責任が加わり、強いコメントを書き込んでしまいやすいことも問題の1つ。今回のケースでも、冷静になったあとに「そうめんの付け合わせなんてどちらでもいいことのはずなのに、何でこんなにキツイことを書いてしまったのだろう」と感じた人は多いのではないでしょうか。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら