「そうめん調理は重労働」→「付け合わせがない人は育ちが悪い」論点すり替えでSNSが大荒れ…何気ない投稿に日本中がヒートアップしたワケ
そうめんのつけ合わせという1つの要素だけで「育ちが悪い」とみなすことの乱暴さ、強引さは否めないだけに、なぜこれほど議論がヒートアップしてしまったのか理解できない人もいるでしょう。
ただ、その理由を考えていくと、4つの必然性が浮かび上がってきます。
「育ちが悪い」という感覚の本質
議論がヒートアップした1つ目のポイントは、他人に「育ちが悪い」と感じる人の心理。
そもそも「育ちが悪い」とは何なのか。主に言葉づかい、振る舞い、マナー、身だしなみ、生活習慣、お金の使い方などで、他人に不快感を抱かせたり、見ているだけで恥ずかしいと感じさせたりしたときに「育ちが悪い」と感じられる傾向があります。
たとえば、乱暴な言葉を使う、音を立てて食べる、場違いな服装で現れる、たびたび人を待たせる、お金を借りたがるなどの他人にネガティブな感情を抱かせる行為が多くを占めています。
ただ、実際のところ“育った環境”というより、“大人になってもそれを直そうとしない人間性”を批判する際に使われやすい言葉なのかもしれません。
その点、今回のそうめんの付け合わせは、誰かにネガティブな感情を抱かせる行為ではなく、個人の自由でどちらでもいいこと、特に直す必要のないことです。育ちとはほとんど関係のないことに「育ちが悪い」という言葉を持ち出すことは、差別意識の表れと言われても仕方がないでしょう。
逆に「育ちがいい」とほめられるのはどんな人なのか。最も「育ちがいい」と言われるのは、他人を気づかい、尊重できる人。言動が他人に安心感を抱かせる人のことであり、他人の「そうめんの付け合わせ」に何かを言う人ではないことは確かです。
その意味で、今回リツイートの多かった「他人に『育ちが悪い』という人こそ育ちが悪い」というコメントは的を射ていました。
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