橋本真也の突然の逝去から20年…蝶野正洋が振り返る「闘魂三銃士」若き日の"ほろ苦い思い出"

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「あれは完全にアドリブで、俺自身も武藤さんと最後に試合するとは思ってなかった。でも、あれを橋本選手が見てくれてたら、なんて言うだろうな、とは思ったよね。

この前、石川県知事の馳(浩)センセイから石川県の観光大使を拝命したんだけど(25年5月22日)、知事室で俺と馳センセイが握手して報道陣に囲まれてるなんてことも、20年前は想像もしていなかったことだよね。橋本選手に話したいこと、見せたいことはたくさんあるよ」

蝶野は1984年に新日本プロレスに入門。同期は武藤、野上彰、船木誠勝(優治)、そして橋本真也だった。

「闘魂三銃士は同じ日に入門している(84年4月22日)。橋本選手は武藤さんと俺より1週間くらい早く入ってたとよく言われるんだけど、俺の記憶では同時だね。俺が道場に着いた時に橋本選手はもう着替えて待ってたから、先に入ってたといえばそうなんだけどね。

この初日の合同練習の時に、ある先輩が俺と武藤さんと橋本選手を前に出して『今日から入った3人だ』と紹介してくれたことを覚えてるよ。で、その初日から俺と橋本選手はケンカするという(笑)」

当時の新日本道場は昭和のニオイが色濃く、新弟子は常軌を逸した練習などでふるいにかけられ、夜逃げする者が絶えないという状況だった。

「道場のいちばん下っ端は洗濯番をするんだけど、まずはそのやり方を直の先輩から教わる。当時の道場には洗濯機が2個しかなくて、乾燥機がその上に設置してあるんだけど、使用中だったら、乾燥機の前に自分の洗濯物を置いて場所取りをするんだよ。

俺が見た時はまだ乾燥中だったから、その次ということで洗濯物を置いて場所取りをしておいた。しばらく経ってから様子を見にいったら、まだ回ってる。誰かが俺の順番を飛ばしたんだよ。

それで頭にきて『ふざけんな! 誰が勝手に入れたんだ?』と大声出したら、橋本選手がスッと近寄ってきて『俺だよ。悪いか?』。それで『なんだコラ!』とつかみ合いのケンカになって、先輩が止めに入った。俺も要領がいいほうだけど、コイツはそれを超えるくらいのズル賢い野郎だな、というのが、俺の橋本選手に対する最初の印象だったね」

「タイガーマスクはイメージと違うだろ」

橋本は1965年7月3日生まれで、蝶野は1963年9月17日生まれの橋本より2つ歳上、武藤は1962年12月23日生まれで3つ歳上だった。

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