しかし、必ずしも過去のしがらみがなかったわけではない。とくに問題だったのは、膨大な数の公的企業があったことだ。エドワード・ツェ著『中国市場戦略』(日本経済新聞社、11年)によれば、92年のトウ小平の「南巡講和」をきっかけとして、朱鎔基が主導する「世界市場、唯一最大の創造的破壊」が行われた。90年代の後半から00年代の初期にかけて、数万に及ぶ国有企業が閉鎖され、約3000万人が職を失った。彼らは、求職活動を通じて、民間企業に就職した。都市部民間セクターの雇用者数は、97年の2400万人から、10年後には8000万人にまで増加した。
これは非常に大きな摩擦を伴う過程だったに違いない。しかし、生残った国有企業はきわめて生産性の高いものだけになったため、その後の成長に寄与することになったのだ。
朱鎔基は、この改革を政府が介入して方向を決めることで行ったのでなく、市場の力を利用して行った。外国企業の参入を認め、中国企業と競合させる。そして、利益のでない企業を取り潰したのである。
これは、通常の市場経済での調整より厳しいものである。なぜなら、企業は赤字になっただけでは行き詰まらないからである。金融措置で資金繰りがつけばよいからだ。パナソニックやソニーは、大赤字でも存続している。企業が行き詰まるのは、資金調達ができなくなったときである。エルピーダメモリは、資金繰りがつかなくなって会社更生法を申請したのだ。
日本の大企業は、国有企業に似ている。それを改革するには、中国が行ったように、利潤原理を通常の市場メカニズムより強く働かせるのが、最善の方法である。不採算企業の支援からはすぐに手を引くべきだ。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2012年4月7日号)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら