日本人が考える「教養」は単にマウントのための「雑学」。SNSで日常生活で――単純な勧善懲悪の二元論に陥らないための教養とは

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教養を身につけるには、難しい本ばかりでなく、アニメや漫画でもいいと思います。

たとえば『進撃の巨人』は、最初は正義の味方だと思っていた主人公が、悪に転じていくという話が描かれています。善と悪は入れ替わるという作品なのです。

この世界観で世界史や現代社会を眺めると、ドナルド・トランプは善か悪かなど、考えるきっかけになるでしょう。

政治に「答え」はない

本書には、政治には答えはないという話が書かれています。

SNSではひたすら批判し合っていますが、政治は「どちらが正しいか」を定義するものではなく、どちらを選んでも必ずトレードオフがあるというものです。

なんらかの政策を実行したり、政治的判断をしたりすれば、メリットがある一方で、必ず被害者が出る。それをどこまで許容するのかという話でしかありません。

新型コロナの政策が典型でした。緊急事態宣言を出して、感染を食い止めようとすれば、飲食店が困る。飲食店を救うために感染防止を緩めると、感染者が増えて死者が出る。

どちらにしても被害が出るところを、政治責任でやると言ったのが、当時の小池知事や安倍政権だったのですが、メディアはどちらの結果も批判しました。

コメの問題も同じです。価格が高騰しているというので備蓄米を放出し、5キロ2000円台で買えるようにしたものの、農家さんからは「それじゃ食っていけない」と悲鳴が上がる。

昨日まで「コメが高い」と文句を言っていたメディアは、途端に「農家が困っているじゃないか」と批判し始めるわけです。

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