カラオケ衰退に同族経営の闇… シダックス"カリスマ創業者"が陥った「成功体験」という病

カラオケレストランとして一世を風靡したシダックスの店舗(写真:アフロ)
給食・食堂運営で成長を遂げ、一時はカラオケ事業でも成功を収めたシダックスグループ(以下シダックス)の創業者、志太勤氏が7月9日、鬱血性心不全のため90歳で逝去した。
給食事業とカラオケ事業という2つの柱で一時代を築き上げた稀代の経営者は、その後の事業環境の変化とコーポレート・ガバナンスをめぐる課題に直面し、最終的には他社の傘下に入るという結末を迎えた。
志太氏の経営から見えてくるのは、「過去の成功体験が、時として未来への足かせとなる」という厳しい現実だ。その人生を前後編に分けて見ていきたい。
前編:【追悼】志太勤氏、レストランカラオケの草分け「シダックス」を創った男の"不屈の経営哲学"
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シダックスが直面した事業環境の変化
1997年9月、志太氏はシダックス(現・シダックスコントラクトフードサービス)社長の座を長男の志太勤一氏に譲り、会長に就いた。2001年4月に持ち株会社シダックスを設立し、同社の会長に就任した。
2012年6月にはシダックス最高顧問となり、晩年まで社会貢献活動に情熱を注ぎ続けた。その1つに、シダックス野球部を通じたスポーツ振興もあった。
阪神タイガースの監督を辞任した後、プロ野球界から一時的に離れていた野村克也氏をシダックス硬式野球部のGM兼監督として迎え(2002年11月から3年間)、親交を深めた。
しかし、栄華を極めたシダックスも事業環境の変化に直面する。コントラクトフードサービス事業では、新規参入企業が増えたことにより、価格競争が激化し、収益性は悪化の一途をたどった。原材料費高騰や人件費上昇も収益を圧迫する要因となった。
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