「イノベーション」という言葉は死語にすべき 「内田樹×白井聡」緊急トークイベント<前編>

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白井:ですから、大学でも会社でも、多様な存在が協働することで、潜在力が最大に開花するにはどうすればよいのか、どんな環境を作るべきなのか、ということを考えて実践することが、最も大事な課題であるはずですよね。こういう発想が人文学的な発想ということなのかもしれませんが、これを全部削り落としていったら、あらゆる意味で生産力が低下していくのは当然のことでしょう。競争を激化させれば利潤が増えるなんていう単純な話ではないということです。

内田:スティーブ・ジョブズは大学に入ってすぐ中退するんですが、その後も大学の近くでウロウロしていて、ときどきもぐりで聴講に行った。行った授業がカリグラフィー、習字のクラスだった。ペンできれいな書体を書いていくという授業があって、もぐりで聴いていた。

いったい自分が、なんで辞めた大学で、カリグラフィーの授業なんかを聴いているのか、そのときにはジョブズ本人もわからなかった。でも、それから何年かして、マッキントッシュのコンピュータを作ったときに、理由がわかった。

それまでのコンピュータには、フォントという概念がなかった。グリーンの画面にデジタルな字体が出るだけだった。それに対してジョブズは、人間と機械のインターフェースには「美しい文字」がなければならないと直感した。そしてユーザーが好きなフォントを選択できること、文字が美しく見えるように字間を自動調整できることをマッキントッシュの標準仕様にした。それがアップルの成功の一因だったわけですけれど、自分が大学で取っていた授業が何を意味するのかは、そのときまでわからなかった。

学びの価値は後になってわかるもの

内田:実学というのは、履修する以前にすでに教科の価値や実用性がわかっている学問のことです。けれども人文学においては、そんなことはありえない。学ぶ前から自分がこれから学習する知識や技術や情報の意味や有用性がわかっていたら、人間がすることはひとつしかない。それは「最小の学習努力で達成すること」です。実学志向の学生にとって、知識や技術は「商品」です。価値があることはわかっている。だったらそれを「最低の代価」で手に入れることが最優先課題になる。市場と消費者という設定で学問のことを考えたら、必ずそうなるんです。

学び始める前にぺらぺらと「これを学んで、こういう能力を身に付けたい」というようなことを言う学生は、まず勉強しません。勉強するのは、自分がなぜそのことを研究したいのか、「よくわからない」と正直に言う学生です。それに強く引き付けられるのだけれど、その理由を語る言葉をまだ持っていない。それが学び始める人間の基本的な構えなのです。そういうふうに順逆が転倒したかたちで、学びというものは構造化されている。

大学は教育商品を提供し、学生たちはそれをできるだけ安い代価で手に入れる、そういう仕組みで考えている人間たちが教育行政を仕切っているから、日本の大学教育は危機的な状態になっているんです。

(写真:石本正人)

東洋経済新報社 出版局
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