低迷つづく中日ドラゴンズ…往年のファンが懐かしむ「燃える男」星野仙一がいた時代の"熱血4大事件"

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「星野がいた時代」の中日ドラゴンズのエピソードを振り返ります(写真:かめや きちべ/PIXTA)
ここ数年、ウェブニュースで話題になることばかり多く、本業の野球ではなかなか低迷から脱出できない状況がつづいている中日ドラゴンズですが、昭和世代のファンにとっては「燃える男」星野仙一のいた時代が懐かしいのではないでしょうか。
そこで本稿では、別冊宝島編集部の『永久保存版 嗚呼、青春の昭和プロ野球 心震えた名場面とその舞台裏』から一部を抜粋・編集する形で、「星野がいた時代」の熱血エピソードを振り返ります。

右側頭部を直撃した内野フライ

【昭和56年:宇野勝の「ヘディング事件」】

星野は巨人打線を6回終了時まで2安打無得点に抑え、中日の2点リードで迎えた7回裏、2死二塁。この日、無安打だった松本匡史に代わって打席に立った山本功児の打球は、ショート後方に力なく上がるポップフライとなった。

中日の遊撃手・宇野勝が後退しながら捕球体勢に入ると、アウトを確信した星野は悠々と自軍ベンチへ向かった。

ところが宇野は捕球に失敗。右側頭部を直撃して大きく跳ね返った打球は、左翼フェンス際まで転がっていった。

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