低迷つづく中日ドラゴンズ…往年のファンが懐かしむ「燃える男」星野仙一がいた時代の"熱血4大事件"

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【昭和57年:田尾安志が敬遠球に「怒りの空振り」】

昭和57年10月18日、大洋対中日のシーズン最終戦。中日が勝ちか引き分けで優勝、負ければ試合のない巨人の優勝となるこの試合で、大洋は主軸打者の長崎啓二(慶一)をベンチから外した。打率トップに立つ長崎の首位打者を確実にするための策だった。

そして長崎をわずか9毛差で追いかける中日の1番打者・田尾安志に対しては、全打席で敬遠、もしくは敬遠気味の四球を与えた。田尾は1打数1安打で交代するか、フル出場なら5打数4安打以上が首位奪取の条件だった。

相手チームにみすみす塁を与える大洋の作戦は敗退行為にも等しい。実際、中日は序盤から大量リードを奪って優勝をほぼ手中にした。そうして迎えた8回表、田尾の第5打席。捕手が初球から立ち上がり敬遠を指示すると、観客席から怒号が上がった。

「タイトルの行方より大切な真剣勝負」

3ボールから投じられた4球目も完全なボール球。ここで田尾は伸び上がるようにして空振りした。そんな姿に大歓声が沸き上がるなか、5球目の明らかなボール球も空振り。

たまらず中日ベンチから黒江透修コーチが飛び出して、なだめるように説得すると、田尾は直後の6球目を見送って静かに一塁へ歩いた。

「タイトルの行方よりも大切なのは、常に真剣勝負をして、ファンをがっかりさせないこと」「三振でもいいと思ってバットを出しました。納得していない気持ちを示したかった」と田尾は当時の心境を語っている。

露骨なタイトル争いはこの前年にもあった。阪神の掛布雅之と中日の宇野勝が37本塁打でキングに並ぶと、両チームの最終戦となる直接対決2連戦では両者合わせて10打席連続敬遠。満塁でも敬遠で歩かされる異常事態だった。

昭和60年には阪神ランディ・バースが54本塁打を放つと、シーズン残り2試合で対戦した巨人は江川卓以外の投手すべてがバースを四球攻め。

王貞治監督の持つ55本塁打の記録を死守した。巨人の助っ人キース・カムストック投手は、自著で「ストライクを投げると、一球につき罰金1000ドル」と言われたことを明かしている。

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