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エンロン粉飾、内部告発者の過酷すぎる半生 危険人物のレッテルを貼られ再就職できず

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  • 伊藤 歩 金融ジャーナリスト
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シェロン・ワトキンス/公認会計士。ニューヨークの貿易金融会社のポートフォリオマネージャー、ヒューストンのアーサー・アンダーセン事務所の監査グループ勤務を経て1993年エンロン入社。2002年TIME誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに、「自分の仕事を正しく行った人物」として選ばれる。現在は倫理、組織での行動等に関する講演、コンサルタントなどを行っている

──投資家をミスリードするような文書があなたの名前で出ることに違和感があったと。1996年にファストウ氏の元を離れて別の部署に異動されたのは、そのあたりが原因ですか。

そうです。

スキリング氏は1996年に社長兼COOに、ファストウ氏は1998年CFOに昇格しており、ペーパーカンパニーによる連結はずしのスキームを使った飛ばしが本格化するのは1997年以降である。

 

──そういったいきさつが過去にあったのに、なぜもう一度ファストウ氏の下で働くことにしたのでしょうか。

社内でポストを得るためです。エンロンは業績に対して非常に厳しい会社でした。その頃、私はブロードバンドの部署に所属していたのですが、そのブロードバンドの部署は収益を上げていなかったので、解散の危機に瀕していました。

他社に転職する道がなかったわけではありませんが、当時私には2歳の子供がいて、なおかつ2人目の子供を妊娠していました。新しい職場に移ってすぐに産休に入るなどということは難しいと思いましたので、エンロンにとどまることにしたのです。

広報部門にはリスクを感じた

──ファストウ氏の部署以外にもオファーはあったんですよね。

ありました。でも広報部門からのオファーで、広報部門にはリスクを感じていました。

──というと?

その時点では、私はエンロンで何が起きていたのか、全てを知っていたわけではありませんでしたが、何かおかしなことが起きているということは理解していましたので、投資家に投資を薦める広報担当の仕事にはリスクを感じていたのです。

実際、広報部門のトップだったマーク・コーニックは後に18カ月の実刑になりましたし、私を広報部門に誘ったポーラ・レイカーも服役しました。

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【経営者を信じて進言】

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