高校時代から絶対的な権威者(監督)がいて、その言葉を忠実に守ることが当たり前だと思っているのが、その理由だ。だから、大学でも与えられた練習メニューを何となくこなして、なぜその内容なのか、特に疑問を持たない。筆者はなぜこの練習を今、行うのか。そんなことを自分なりにずっと考えてきた。当時の監督も、なぜこの練習が必要なのかを説明しない。やれば強くなるんだよ、という考えの下でチームを指導していたように思う。
エディーHCの言う「規律を守らせるため、従順にさせるためだけの練習」が中心だったのだ。筆者はスポーツライターになり、さまざまなチームや選手を取材してきたが、現在も「規律を守らせるための練習」をしているチームはたくさんある。
怒られないようにやるという競技観
佐久長聖高校の教員時代に佐藤悠基(日清食品グループ)、大迫傑(NikeORPJT)らを育てた東海大学・両角速駅伝監督も、高校から大学の監督に転身して、選手たちの“受け身”の姿勢に驚いたという。
「どんな競技にも言えることですが、スポーツを怒られながらやるというのは、日本独特の風土じゃないかなという気がします。必要以上に怒る指導者もいるので、監督やコーチの顔色をうかがいながらやる子が多く、怒られないようにやることが競技観になっている選手がいるんです。小学生が先生に怒られるから掃除をちゃんとやろう、みたいな。本来、掃除は先生に怒られるからやるものではありませんよね。
大学でも指導者の顔色をうかがっている選手がいて、特に名門校の卒業生に多い印象です。それで、怒られないことがわかると、どう頑張ったらいいのかわからなくなってしまうんですよ」
中学、高校、大学と「勉強する」意味を理解しないまま、なんとなく勉強して大学を卒業してしまっている人は非常に多い。それはスポーツも同じで、筆者は常々もったいないと思っていた。
筆者は怒られながらスポーツをしてきたわけではないが、強豪校(主に高校)では、かなり厳しい指導をする監督も少なくない。中には暴力事件にまで発展するケースもある。それは指導者が選手たちを「徹底管理」しようとする姿だ。
何しろ、試合に出られるかどうかは監督の判断で決まる。実力があっても言うことを聞かない選手を外すこともできるため、選手たちは監督へ従順にならざるをえない。それは、「うまくなる」「強くなる」「速くなる」という、本来、伸ばすべきスポーツ能力とはまったく別次元の“能力”だ。その結果「イエスマン」を生み出しているように思う。
また、運動部で全国的な活躍ができたとしても、スポーツを「仕事」にすることは難しい。たとえば、野球がうまくて甲子園で活躍したとしても、プロ野球選手として長くプレーできる選手はごくごくわずかだ。それどころか高校時代、野球部で青春を費やしたとしても、大半のチームは「甲子園」という夢を実現できずに終わってしまう。
では、学生時代にスポーツをする意味は何だろうか?
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