汗と涙の甲子園が、子どもの可能性を潰す 甲子園と陸上インターハイに「魔の共通点」

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夏の風物詩「甲子園」。そこにはインターハイとの"魔の共通点"があった(写真:タッチ/ PIXTA)

小学生の頃から「甲子園」が大好きだった。球児たちのキラキラ輝く笑顔と、悔し涙。数々のドラマがあって、何度も感動した思い出がある。当時は甲子園関連雑誌なども読みあさった。スポーツの魅力を最初に教えてくれたのが甲子園だったような気がする。しかし、スポーツライターとして活動をするうちに、いつしか“夢の甲子園”に違和感を覚えるようになった。

まずはメディアについて。一般紙の地域版は理解できるとしても、スポーツ新聞などの「高校野球」報道は本当にバカげている。

6月に行われた陸上の日本選手権で高校2年生のサニブラウン・アデブル・ハキーム(城西大城西高校)が男子100mと200mで2位に食い込む快挙があった。その件について某スポーツ紙では写真つきで一応報じたものの、高校野球に比べれば小さいと言わざるをえない扱いだった。都道府県大会の予選レベルでも、ありえないくらいの紙面を割いているのだ。

大人によって作り出される「感動」

注目度が高ければ、報道が過熱していくのは当然のこと。「甲子園」の人気が高いのはもちろん知っている。しかし、都道府県大会の1回戦から強引に感動のストーリーを作ったような記事を読むたびに、「やれやれ」と思う。野球の記事というよりも、ある人間をピックアップしたような記事だ。何かを成し遂げたわけではなく、甲子園を目指す球児、その周辺にいる“頑張った人たち”の美談……。

たとえば、予選の2回戦で有名タレント夫妻の次男がヒットを打ったことが写真つきで記事になるなんて、ほかのスポーツ関係者はなんで?と思ってしまうだろう。先のサニブラウンの活躍の方が、「スポーツ」としては圧倒的にプライオリティが高いはずなのに、記事の扱いの大きさは変わらないのだ。

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