コーランには本当は何が書かれていたのか 全米図書賞ノミネートの注目の書を読む

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世界に急速に広がりつつあるイスラム教を考えるとき、大きな争点となるのが、女性の地位だ。コーランの名のもとに、勉強したいと願うだけで少女の命が危険にさらされたり、市場でおつりを確認するためにヴェールを持ち上げたのを見咎められて(顔がチラリと見えた)、その場で暴行を受けたりすることもある。

不衛生な道具で麻酔もなく行われる過酷な性器切除、子宮脱をはじめ心身に深刻なダメージを及ぼしかねない幼児結婚。そこまでいかない場合にも、女性の生活全般に、気がめいるほどの制約がある。イスラム教はまさしく、女性に服従(イスラーム)を強いる宗教だ、というのが、ごく一般的な見方ではないだろうか。

とはいえ、「有志の手紙」にいきり立った自分が妙に心に残り、私はその一件を反芻してきたし、イスラム教とコーランのことはずっと気になっている。だから、このたび刊行された『コーランには本当は何が書かれていたか?』という本にも自然に手が伸びた。そして、本をひっくり返して裏表紙を見たとたん、私は絶句した。裏側の帯に、「コーランにおいて女性と男性は完全に平等である」と書いてあったのだ! 完全に平等って……いったい何を言っているの!?

しかし意外にも、この惹句の毅然としたトーンは、「有志の手紙」のときとは、まったく逆の効果を私に及ぼした。その惹句は私に、「そのあからさまな矛盾を解きほぐすために、この400ページは書かれたのです」と語りかけてきたのである。これは読まなければならない、とページをめくりはじめるとすぐに、私は本の世界に引き込まれていった。

著者はアメリカ人ジャーナリスト

カーラ・パワー氏

著者のカーラ・パワーは、イスラム世界を専門とするアメリカ人ジャーナリストである。父親は、オリエンタリズム的な感性でイスラム圏に長期滞在を繰り返す人だったため、パワーは子ども時代を、イラン、アフガニスタン、インド、エジプトなどの国々で過ごし、大学ではイスラム社会について学んだ。

そんな彼女が、オックスフォード大学イスラム研究センターでの同僚だったモハンマド・アクラム・ナドウィー師とともに、コーランを読んでみようと決意する。

アクラムは、インドの僻村に生まれ育ったイスラム教徒である。優秀な子どもだった彼は、コーランの文献学的研究者となってイギリスに渡り、研究のかたわら、同地の信者のために霊的指導者としての役割も果たしている。イスラム教徒としてみたとき、アクラムは「正統派」であり、徹底してコーランに依拠するという意味において、「原理主義者」であるとも言える。にもかかわらずーーだからこそ、とアクラムは言うだろうが――歴史上の女性イスラム学者を、9000人近くも発掘するという、驚くべき仕事を成し遂げている。

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