日本は、禅寺の中にアッラーに祈る場を作る 世界の宗教問題を解決する鍵とは?
私は京都の禅寺の長男として生まれたのですが、中学・高校は地元のカトリックの学校に通いました。お寺の子どもが、キリスト教の教育を受ける。大学時代にアイルランドを旅行し、日本の民宿にあたるB&Bに泊まったときに、そこのおかみさんにこの話をしたところ、「あなたはこの国だったら殺されても文句を言えない」と言われました。
アイルランドは敬虔なカトリックの国です。若かった私はそのとき、何も反論をすることができませんでした。しかし今であれば、自信を持ってこう言えます。日本における宗教のありかたこそ、世界の宗教問題を解決する鍵になるのではないか、と。
「イスラム教徒は冥福を祈れない」
本書『日本の中でイスラム教を信じる』(文藝春秋)は、この14年近くの、日本社会のイスラム教の受容を描いたルポです。2001年の9.11テロのときに厳しい偏見にさらされたイスラム教徒たちをきっかけに、著者の佐藤さんは、じっくりと日本にいるイスラム教徒たちと付き合っていました。紹介されるのは、海外から日本に来たイスラム教徒だけではなく、日本人としてイスラム教徒になった人たちもいます。そして、このルポがすぐれているのは、日本社会と、イスラム教徒がどのように衝突し、そして折り合ってきたのかを、実名の証言を基に具体的に描いている点なのです。
私が読んでいて面白いと思ったのは、日本の仏式の葬儀にイスラム教を信じている方々がどう対応してきたかを書いた第3章「イスラム教徒は冥福を祈れない」です。
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