日本は、禅寺の中にアッラーに祈る場を作る 世界の宗教問題を解決する鍵とは?

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日本人と結婚したイスラム教徒がいて、たとえば「義理の父がなくなったとき、仏式の葬儀にでることができるか」という問題です。私たち日本人は「葬儀は別だろう、出ないなんてなんて薄情なんだ」と考えます。
しかし、本書ではイスラム教徒にとって、さまざまなハードルがあることが具体的な証言を基に説明されていきます。イスラム教は一神教なので、アッラー以外の神に対して祈ることはできない、したがってアッラー以外の対象、「故人」を祈ることができない。こうして「冥福を祈れない」という心情が説明されます。

ところが、そこで終わらないのが本書の優れた点なのです。著者は、パキスタン人と結婚した女性の日本人イスラム教徒のあるエピソードを紹介します。

宗教的な制約を超えたエピソード

その女性は10年前から周到に、夫と自分の両親が亡くなったときのことについて話し合ってきました。ついにその日が訪れます。葬儀の準備に追われていた妻は、夫が本当に斎場に来てくれるのか心配でした。しかし、夫は来ます。慣れない黒のスーツ姿で、「すごく安っぽい、見るからに百均で買ったとわかるネクタイ」を持って。

「主人は遅刻して『すいません。すいません』と言いながら入ってきた。それでも『よく来てくれたよね。すごいよね』って、親戚の方々は喜んでくださった。(主人が)外国人でイラスム教徒だってみんなわかっているので、『それでも来てくれて、ほんとありがとう』って言われた」(本書より)

 

私はこのくだりを読みながら胸が熱くなりました。

かく言う私も、以前、イスラム教徒の方をお迎えしたときに失敗したことがありました。妙心寺では精進料理をお出ししているのですが、精進料理であれば宗教的な制約があったとしても、大抵のケースは対応できるものだと思っていました。

埼玉県の小学校に通う大久保泰君は、校長室でお昼の礼拝を行なっている(本書より)

しかし、数年前、イスラム教徒の方にあるものをお出ししたら、「これは食べられません」と拒否されてしまったのです。そのときお出ししたのは、天つゆでした。

なぜ天つゆがダメだったのか。それは、みりんが含まれていたからです。イスラム教徒の方は、お酒を飲むことができません。そのときお出ししたみりんは、もちろん、十分に熱してアルコール分は蒸発していたのですが、その方にとっては、アルコール分が残っているかどうかは問題ではなく、その食品にアルコールを入れたという行為自体が問題だったのです。自分の認識が甘かったためにこういうことになったのですが、おかげさまでその失敗は、イスラム教のタブーについて勉強させていただく機会になりました。

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