韓国現地取材で見えてきた!対馬の盗難仏像"返還"が問いかける「文化財をめぐる常識」の非常識
犯人の量刑が確定すれば、仏像は窃盗品として所有者である観音寺に戻される予定だったが、韓国に留め置かれることになった。仏像の所有権をめぐり、浮石寺が倭寇によって略奪された当該寺の所有だとし、韓国地裁に移転禁止の仮処分を申請したためだ。
仮処分の3年の効力が切れると、浮石寺は仏像を保管していた韓国政府へ引き渡しを求める裁判を起こし、これが最高裁まで行くのに8年かかった。そして2023年10月26日、最高裁は浮石寺の上告を棄却。日本の取得時効である20年に照らして、観音寺の取得時効が成立していることを認め、観音寺の所有であるとした。
その後は韓国政府が日本への返還のタイミングを探る中、浮石寺は観音寺へ判決を受け入れることと、引き渡す前に100日の法要をしたいと求めてきたという。観音寺で関係者らと相談した結果、法要を受け入れることとし、今年1月24日に返還・貸与の式典が韓国の国立文化財研究所で行われ、韓国でも関心が集まった。
浮石寺ではこの翌日から5月5日まで100日の法要が営まれ、観世音菩薩坐像は一般公開された。浮石寺によると、100日間で4万人ほどが仏像を観るために同寺を訪問したという。
引き渡しの法要が終わった後、観世音菩薩坐像はさっそく鑑定に入った。鑑定は、日本の文化庁の調査官と長崎県の学芸員の2人が行った。サイズを測り、緑青の色合いなど微細な部分まで念入りに鑑定していた。観世音菩薩坐像とともに盗まれた海神神社の銅造如来立像は、盗まれた際に手の指が欠けていたといわれたが、観世音菩薩坐像には異常なく、無事だった。
韓国では倭寇によって宝冠が失われたといわれたが、盗難に遭った際、窃盗犯が運搬の際に落としており、観音寺の門のところに宝冠が転がっていたそうだ。現在は対馬博物館に保管されている。
鑑定後、飛行機や船での揺れに備えて木箱にしっかり固定される形で梱包され、専門業者のトラックに積み込まれた。浮石寺を後にし高速道路に入るまでは、瑞山市警のパトカーに先導されて輸送された。
今こそ再考したい文化財の“あるべき場所”
窃盗品に移転禁止の仮処分を申請するなど異常な事態となり、帰還までに12年半もかかった。それでも観世音菩薩坐像が戻った今、広く文化財・文化遺産について考えると、国際的には2つの捉え方がある。
1つは、文化遺産は該当国家のアイデンティティーの象徴であるため、原産国にあるべきとする「文化ナショナリズム」(文化民族主義)というもの。もう1つは、世界のそれぞれの人々が世界の文化に寄与しており人類の歴史の結果物であるため、保存や鑑賞に集中すべきとする「文化インターナショナリズム」(文化国際主義)という考え方だ。
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