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「フィルムを没収する」
私が初めて韓国に降り立ったのは1980年3月だった。台湾の新聞局(政府の広報機関)が手配した日本へのプレスツアーを終えた後、他の3人の記者とともに羽田空港からソウル・金浦空港までのチケットを購入、韓国を4日間観光した。
当時、朴正熙大統領が暗殺され、権力の空白期を迎えていた。つかの間の民主化の動きも見えるなど、本来なら韓国人の誰もが期待していた「ソウルの春」がやってくるはずだった。
しかし、全斗煥が1979年、いわゆる「12.12軍事クーデター」で政権を掌握して、民主化という春は訪れなかった。1979年5月17日22時に発令された戒厳令はまだ施行中だった。全斗煥らの「新軍部」が情勢を掌握する中、韓国社会の雰囲気は非常に厳しく、至るところで高圧的な緊張感が漂っていた。空気そのものが緊迫しているかのようだった。
われわれ4人がソウル・景福宮の国立中央博物館(かつての朝鮮総督府庁舎)を見学した後、大通りに出てバスを待っていた時だった。台湾『青年戦士報』の記者がカメラを取り出し、暇つぶしとして向かいの建物を撮影し始めた。
その瞬間、銃を持った兵士が勢いよく警笛を鳴らして、われわれの元へ駆け寄ってきた。そして、全員を建物のほうへ連行し、事情を聞いたうえでフィルムの提出を要求した。「ここは立入禁止区域なので撮影は禁止だ」と言うのだった。
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