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「反共」の同盟国メディアにも圧力をかけた全斗煥 1980年代、韓国の民主化を見続けた台湾紙特派員の回想

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  • 朱 立熙 台湾・知韓文化協会 執行長
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われわれは「撮影禁止を示す看板さえなかった」と主張したが、兵士は頑なにフィルムの提出を求めた。そこで私は、当時話せる限りの韓国語で「この写真を撮ったのは、台湾軍の新聞記者だ」と説明。すると、兵士たちは驚いたようすで顔を見合わせ、そのまま解放された。

後で韓国の友人に尋ねると、そこは「国軍ソウル地区病院」だったことがわかった。1979年10月、朴正熙が「安家」と呼ばれた大統領の招待所で暗殺された後に、運び込まれたのがこの病院だったという。

また表向きは病院だが、実際は国軍保安司令部、軍の情報機関の総本山だったのだ。全斗煥がクーデターを起こした当時、ここの司令官だった。現在の国立現代美術館ソウル館があるところだ。

初めての韓国旅行は、こうした出来事によって、軍事独裁政権への強烈な印象を私に刻みつけることになった。

盗聴、尾行…外国人記者を徹底的に監視

1981年に韓国へ留学したときは、台湾の新聞社の奨学金を受けていたこともあり、韓国で何かニュースが発生すると台北に原稿を送る必要があった。「留学生記者」という立場だったが、幸運にもスクープ記事をいくつかものにしていたため、すでに韓国の情報当局にマークされていた。「国外追放リスト」にも載っていたという。

韓国側は、当時の私を「入国目的に合致しない」として正式に国外追放することもできたが、幸いそこまでのことはなかった。

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