韓国世論の両極化が前代未聞の戒厳令を誘発した 過去と現在の交差を繰り返す韓国民主主義
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12月28日(土) 小此木政夫氏に聞く朝鮮半島の将来(上)
小此木政夫氏に聞く朝鮮半島の将来(下)
親愛なる国民の皆さん、私は北韓共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、韓国国民の自由と幸福を略奪している破廉恥な従北反国家勢力を一挙に剔抉し、自由憲政秩序を守るために非常戒厳を宣布します〉
「従北反国家勢力に支配されている」
2024年12月3日午後10時29分、韓国の尹錫悦大統領は突如記者会見を開き、戒厳令を宣布した。この会見で大統領は理由として、韓国国会が北朝鮮の影響下にある「従北反国家勢力」に支配されている事を挙げ、彼らを「剔抉(てっけつ)」、つまりは排除する事を宣言した。
同じ日の午後11時には「戒厳令布告」が公表され、「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動の禁止」や、「すべての報道と出版が戒厳司令部に統制」されること、そしてこの戒厳令布告に違反した者は「令状なしに逮捕、拘留、押収捜査を行う」ことが明言された。
だが、このような大統領の試みは失敗に終わった。戒厳令布告に従い国会の正門は直ちに警察によって封鎖され、やがて封鎖には軍特殊戦部隊も加わった。しかし、その作業は真剣さを欠いたものであり、議員たちは塀を乗り越えて次々と議事堂内に入った。結果、国会は4日午前1時過ぎに戒厳令解除を求める決議を採択した。
自ら各所に電話をかけて戒厳令への協力を呼び掛けた尹錫悦は、隷下にあるべき軍や警察、さらには情報機関が指示に従わないのを見て試みを断念し、午前4時半、閣議を招集して戒厳令を解除した。
韓国ではその後、この時の大統領による戒厳令発令と国会閉鎖の試みが刑法の定める内乱罪に当たる、として捜査が行われ、国会も紆余曲折を経て12月14日に大統領弾劾を決議し、尹錫悦は大統領権限を停止された。
このような韓国の状況はなぜ起こったのだろうか。
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