「UWFは俺にとって最初の青春だった」…前田日明が振り返る"猪木が来なかったあの日"の決意
あれだけ競技志向を謳っていた人間が前者のタイプだったら格好悪いやんけ。
UWFで合流さえしなければ俺と佐山さんの関係がおかしくなることはなかったと思う。新日本時代はよく一緒に練習もしたし、『こんな絵に描いたような好青年みたいな人が世の中にはいるんだな』と思っていたのにね」
最後まで実現しなかった猪木とのシングルマッチ
85年12月6日、前田は藤原、木戸修、髙田、山崎一夫らと業務提携という形で新日本に復帰を果たす。
猪木への挑戦権を賭けた「UWF代表者決定リーグ戦」で藤原に敗れるも(86年1月10日、船橋市運動公園記念体育館)、その後UWF勢は新日本のレスラーに対して蹴りと関節技で脅威を与え続けた。
85年10月9日、前田は両国国技館で行われた「INOKI闘魂LIVE」における異種格闘技戦でドン・中矢・ニールセンとの激闘を制し、「新格闘王」と呼ばれるようになる。
新日本の絶対的象徴だった猪木のポジションを脅かす存在になったが、猪木とのシングルマッチが実現することは最後までなかった。
「結局、俺とやるのは嫌なんだろうなと思っていたよね。やっぱり入門直後のペーペーの俺に『リングに上がってこい!』と言ってね、スパーリングをやったら俺は目つきと金的をやるような人間だったわけでしょ。
『コイツは何をしてくるかわかんないな』って思ったんでしょ(笑)。しかもさ、それからトレーニングして体も力も強くなって俺にさ、同じことをやられたら大変じゃない。
後年になって猪木さんが『後継者は前田ぐらいしかいないと思っていた』って言ってたっていうのを聞いて、俺はすごくビックリしたんだよね。猪木さんはそんなことを考えていたのか、だったらもっと早く言ってくれよって。そんなことを面と向かって言われてたら、俺は感動して、感激して、もっと頑張ったのにさ(笑)」
(インタビュアー:井上崇宏)
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