「教養」とは、著者自らも認めるとおり大きく振りかぶったタイトルだ。「100人いれば100人の見方や考え方があるのが猪木の魅力である」「考えれば考えるほどわからない教養があってもいい」との視点で、アントニオ猪木の人生と、彼が生きた時代を描き出した。
プロレスファンならずとも、1970年代後半からの猪木の存在は絶大だった。しかし、著者は猪木を、プロ野球の王貞治や長嶋茂雄(ON(オーエヌ))のような「自然と注目を集めた他のスーパースター」とは異なると線を引く。ONと「本当に希有な存在である猪木」を分けたものとは──。それは、プロレスと「市民権」の関係にほかならない。猪木の原動力は、「世間の偏見に対して怒り、エネルギーを燃やした」ことだったと説く。
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