「UWFは俺にとって最初の青春だった」…前田日明が振り返る"猪木が来なかったあの日"の決意
「猪木さんは来ると思っていた」
「俺にとってUWFとは遠い昔であり、人間は大金を目にするとみんな豹変してしまうというカネの怖さを思い知った時期ですよ。
まず、ユニバーサルプロレス(第一次UWF)が誕生した経緯はご存じのとおり、猪木さんと新間(寿)さんが新日本とは別の団体をつくろうとしたわけでしょ。
そうしてかつて日本プロレスが日本テレビとNET(現・テレビ朝日)の2局でプロレス中継を流していたあのシステムを目指したんだよね。
だってさ、あの頃の新日本は金曜夜8時の裏番組が『太陽にほえろ!』と『3年B組金八先生』というとんでもない人気番組だったのに、プロレスの視聴率が勝ってたんだからね。
だけど結局、猪木さんの事業(アントン・ハイセル)がうまくいってなくて借金の問題がクローズアップされていたから、テレ朝以外のテレビ局はどこも手を出したがらなかったんだよ。借金の問題さえなかったらフジテレビはユニバーサルの放送をやっていたと思う。

















