「UWFは俺にとって最初の青春だった」…前田日明が振り返る"猪木が来なかったあの日"の決意
だけど、そんな事情を知らない俺は大宮スケートセンターでの旗揚げ戦(1984年4月11日)に猪木さんは来ると思っていた。新間さんもそれまでずっと強気で『フジとは今も交渉中なんだ』って言ってたんだ。
猪木さんが来ないってわかったのは当日会場に着いてから。猪木さんの姿がない。それでも興行が始まってもみんな『ひょっとして、これから来るかもな』なんて思っていた。
まるで青春ドラマの主人公になったような気分
結局、猪木さんは姿を現さなかった。そうしたら新間さんは『最終戦の蔵前国技館(84年4月17日)には来るから』って言い出した。だから俺らの行く道が決まったのは蔵前が終わってからですよ。
今はもうどうしようもなくなった上井文彦(第一次UWFの営業次長)が当時はまだ漢気があって、大会後の蔵前の控室で社員をみんな集めて、新間さんの前で『みんなで頑張って新間さんを男にしよう!』とか言って泣きながら乾杯をやったんだよね。
要するにもう猪木さんは来ないと悟ったから自分たちでこの団体をなんとかやっていくしかないと。
そうしたら当時、猪木さんの付き人をやっていた髙田(延彦)を通じて『前田、お前だけでも戻ってこい』っていう猪木さんの伝言を受け取ったんだけど、神(新二)とか鈴木(浩充)ら社員たちが俺に『前田さん、新日本に戻ったりしないですよね?』と言ってくる。
『そんなの帰るわけねえよ』と思ったから無視するしかなかった。まるで自分が青春ドラマの主人公になったような気分でさ、自分で自分に酔っていたんだよ(笑)。
ユニバーサルは俺の最初の青春だったから。今振り返るとね、新日本との提携時代に、長州(力)さんの顔面を蹴っ飛ばして(87年11月19日、後楽園ホール)大問題になる前も同じようなことがあった。
新日本の辻井(博)会長から『お前に新日本の株を分けて取締役にしてやるから、UWFは解散して個人契約しろ』って言われたんだけど、その時も神と鈴木が『前田さん、いったいこれから僕たちはどうなるんですか?』って言うから、『大丈夫だ、個人契約なんてしねえよ』って。
そうやってこっちはお前らのために青春ドラマをやってたのに最終的に新生UWFで儲かったらドロンでしょ。俺は全局面、まったく報われずに裏切られてきた。
それとユニバーサルはね、俺自身にエースっていう感覚はないんだけど、『前田が大変だ』っていうことで藤原(喜明)さんと後輩の髙田延彦が新日本から来てくれたでしょ。