「高層ビルが全然ない…!」1960年代≪31mの高さ制限≫があった”東京・丸の内”の現在と似て非なる街並みをアナログ写真で振り返る

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丸ビルと向かいあう新丸ビルは、戦後の1952(昭和27)年築。この場所には大正期から、東京駅前で丸ビルと一対となる大型ビルの建設が計画され、来日外国人向けの「ジャパンホテル」のプロジェクトが進行していたが、第一次大戦後の金融恐慌によりストップ。

その後は1937(昭和12)年に「第二丸の内ビル」が着工したが、今度は第二次世界大戦が勃発して工事が停止。ようやく戦後になって建設が実現したビルだった。

その新丸ビルも2007年に、38階建ての超高層に建て替えられている。

こうして2000年代に丸ビル、新丸ビルの建て替えが行われた前後から、丸の内ではオフィス用途一辺倒だった街を、アメニティ性の高いショッピング街、レストラン街へと変貌させていくプロジェクトを進め、大手町から東京駅前を経て有楽町へと続くこの街の目抜き通り・仲通りは、ブランド店やカフェなどが並ぶ、都内有数のおしゃれストリートとなった。

再開発が進む丸の内(撮影:2025年4月、今井康一)
(1964年6月10日、東洋経済写真部撮影)

丸の内駅舎がドーム状じゃなかった時代

丸の内という街にとって重要な存在は皇居、そして東京駅。最初の写真で、その東京駅の丸の内駅舎の外観を見ると、現在とは姿が違うことに気づくはずだ。

1914(大正3)年築の赤煉瓦の丸の内駅舎は、太平洋戦争中の1945(昭和20)年5月25日の空襲で、南北のドーム状の屋根を焼失。その後2年あまりをかけて復旧されたが、戦後の財政難のなかオリジナルの姿に戻すことは叶わず。3階建てだったドーム建築は、2階建て八角屋根の形で復旧され、その後50年間以上その屋根姿で存在し続けることになった。

つまり、昭和戦後生まれはみな、この八角屋根2階建ての丸の内駅舎の姿に親しんできたことになる。

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