「高層ビルが全然ない…!」1960年代≪31mの高さ制限≫があった”東京・丸の内”の現在と似て非なる街並みをアナログ写真で振り返る

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現在はウェディング撮影などでにぎわう東京駅の行幸通り(撮影:2024年7月、梅谷秀司)

現在の丸の内駅舎ではドーム屋根やその内部が復原されているが、これは2012年に完成したもの。その復原計画の際には、1914(大正3)年にオリジナルの建物が建てられてから空襲で焼けるまでの期間より、その後の八角屋根の姿であった時代のほうが長いのだから、オリジナルに戻す必要はないという歴史論争が発生する一幕もあった。

最初の写真で、東京駅の上側、線路沿いに扇形に広がる大きなビルは旧国鉄本社。1937(昭和12)年に鉄道省の庁舎として竣工した建物だった。

1987(昭和62)年の国鉄の分割民営化後はJR東日本の本社になったが、1997年にJR東の本社は新宿に移転。その跡地は現在、日本生命東京本部や日立製作所本社や商業施設、ホテルなどが入る大型オフィスビル・丸の内オアゾに建て替わっている。

駅前の行幸通り・広場は、赤煉瓦駅舎の復元後に大々的にリニューアルされ、歩行者専用スペースがメインの、駅前から皇居までを広々と見通せる場となった。今では、駅舎を背景に記念撮影をする人々や、ウェディングフォトの撮影など、東京有数の“映えスポット”として知られるようになった。

(写真:1964年6月10日、東洋経済写真部撮影)

明治時代築の赤煉瓦造のオフィス建築も

同じ丸の内の風景を馬場先門通り側から俯瞰すると、また印象が異なる。内堀通り沿いの、馬場先門交差点角の大きな建物は明治生命館。昭和9年築のこの建物は、2004年に竣工した30階建ての明治安田生命ビルと一体化しながら、竣工時の部分が現存し、重要文化財にも指定されている。

その裏側には古い洋館の建物が何棟か見えるが、この一画には1960年代半ばのこの頃まで明治27年築の三菱一号館のほか、明治37年築の4号館、明治38年築の5号館と、明治時代築の赤煉瓦造のオフィス建築がまだ残っていた。

それらも高度経済成長の勢いのためか、一号館は1968年に解体。その跡地には三菱商事ビル、古河ビルが建設されたが、時代が平成になり、丸の内で東京駅赤煉瓦駅舎、明治生命館、日本工業倶楽部会館など、歴史的建物の保存・復元をしながらの再開発が進められるようになるうち、三菱一号館の復元プロジェクトが2004年に発表された。

2009年に復元建物は竣工。

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