お父さんは当時のことを涙ながらに話します。お母さんも「思い出そうとしても記憶がないんです。ただ、『痛かったね、こんな思いをさせてごめんね、ごめんね』と泣きながら言ったことだけ覚えています」
このことは田中さん一家にとって衝撃的なできごとでした。
父:「リストカットの傷ってほんとにすごいんです。娘が自傷行為をすることは自分が傷つくよりこんなにつらいことなんだって、涙が止まりませんでした」
支援機関は「そうですか」の一言
田中さんたちはこれまでのやり方が間違っていたことを瞬時に悟り、すぐに支援機関のサービスをやめることにしました。「娘が自傷行為をした」と連絡しましたが、「そうですか」と言われただけでした。
田中さんたちは「この機関のことは記憶から消したい」と話します。
幸い、娘さんの傷は命に関わるものではありませんでしたが、娘さんはあれから一度も半袖の服を着ることなく、暑い夏でも長袖の服を着続けているそうです。その様子から娘さんの心に深い傷を残したことがわかります。
母:「娘のリストカットで私たちも目が覚めました。本当ならその前に気づかなくてはならなかったんです」
父:「私たちは親として傲慢でした。期待だけ強くて思い通りにならないと怒りをぶつけていた。次女だけでなく長女にも口うるさく言っていたと思います」
「自分たちが変わらなくてはいけない」と強い気づきを得たころ、田中さんご夫婦はある人と出会います。以前、学校で校長をしていた人で、今は公認心理師として不登校の子どもたちに関わる人でした。
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