時の権力者「田沼意次」政権の"賄賂横行" 恋川春町が皮肉った本が人々の共感を呼んだ理由
ダンカンは、義経の命令ということで、蝦夷の昆布・数の子などを強引に取り立てる。その中の10分の1を義経に納めただけで、残りは、ダンカンが着服した。
富豪となったダンカンは、贅を尽くし、ついには義経を暗殺しようとする。だが、義経はすでにダンカンの人柄や野望を熟知していたので、罠にははまらなかった。
ダンカンが目を覚ましたときには、蝦夷の富は、義経たちに持ち去られていた。義経らは、蝦夷の人々を騙し、昆布や数の子などを大量に得て、鎌倉へと帰ったのだ。
頼朝も義経を喜んで迎える。蝦夷の昆布・数の子は、浅草で売られ、大儲け。この結果鎌倉は栄えるーー。
庶民は大っぴらに政権批判できなかった
さて、この話のなかでは、義経は田沼意次ではないかとされています。ダンカンの家来であるインヲリスクや、ウラミンテエルは「大の昆布持」となり「葦原」(吉原をもじったもの)に通い、豪奢に振る舞うのですが、そこには当然のように、ご機嫌取りたちがやって来て、インヲリスクらに進物(昆布や数の子)を渡します。
「内々の願いの筋、何分よろしくお取持下しおかれますよう。へへへへ」と。「随分承知承知」ーーこのやり取りを見ていると、時代劇の「越後屋、お主も悪よのぉ」を思い出してしまいます。
つまりこの本では、江戸の蝦夷地における密貿易や商人の暴利、賄賂の横行などを、鎌倉時代や義経などに仮託し、皮肉ったのです。こうした揶揄や皮肉は、江戸時代の庶民は、大っぴらに口に出すことはできませんでした。春町の『悦贔屓』などが庶民の代弁をしたのです。
(主要参考引用文献一覧)
・宇田敏彦「春町作黄表紙の虚像と実像」(『近世文藝』45、1986)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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