時の権力者「田沼意次」政権の"賄賂横行" 恋川春町が皮肉った本が人々の共感を呼んだ理由

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それにしても、『文武二道』にしても『悦贔屓』にしても、偶然、作者が政治を題材にした書籍を書き上げたのでしょうか。

そうした「偶然」の可能性もありますが、両書を刊行した蔦屋重三郎が「政治を素材とした作品を描いてはどうか」と持ち掛けた可能性も捨てきれません。

『悦贔屓』の著者・恋川春町も、『文武二道』の作者・朋誠堂喜三二も、それぞれ、小島藩(駿河国)や秋田藩の留守居役などを務めた経験があり、政治情勢に通じていました。留守居というのは、藩の江戸藩邸にいて、幕府や諸藩との交渉を担当した役職です。よって、幕府や諸藩の内情に通じていたのです。

老中を務めた田沼意次(1719〜1788)は、諸藩の留守居役の人々を自らの邸に招くことをしていたので、彼らはさらに「事情通」となったことでしょう。また田沼にしても、彼ら留守居の者から、さまざまな情報を得ていたと想像されます。

田沼は、青年時代に、8代将軍・徳川吉宗の子・家重の小姓となり、以後、本丸小姓・御側御用取次・側用人と進んで、ついには幕府の老中となった人物です。

さて、天明8年に刊行された『悦贔屓』は、そんな田沼政権下における賄賂の横行や、特権商人の暴利の実態を揶揄したものでした。

大河ドラマ べらぼう 田沼意次 恋川春町
田沼意次ゆかりの「相良城趾」の石碑(写真:MORIKAZU / PIXTA)

とは言え、当時はそうしたことを直接的に非難するわけにはいきませんから、時代は鎌倉時代が設定され、登場人物も源義経などが登場してきます。話の内容も史実ではなく、荒唐無稽なものです。

その内容を見てみましょう。

田沼意次政権の賄賂政治を皮肉った

兄・源頼朝との不仲を口実に義経たちは、蝦夷地に入る。義経は、奥蝦夷を攻めて、女王の娘(かいらい)婿となる。その案内役は、蝦夷の「シンバダンカン」(以下、ダンカン)という者。義経は蝦夷の王となった。

義経に気に入られたダンカンは、蝦夷中の美女を集めて、義経に献上、日夜、酒を勧める。ダンカンは、昆布・数の子を一手にするという野望を抱いていた。あろうことか、ダンカンは、義経の妻(かいらい夫人)にも言い寄る。

しかし、義経はその様子を見ており、ダンカンの野望に気づくのであった。

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