写真家・ヨシダナギ、“東京脱出”の真相 島に移住して得た心の平穏と少数民族への熱情
予想もしない知名度の高さで、モデル候補は十分に集まった。さらに、撮影で利用したレンタカー会社の社長がヨシダナギのファンで、車を無料で貸してくれたそうだ。
マルケサス諸島では伝統を守り、継承することに力を入れており、今回のような撮影が入った時は、「文化への貢献」という位置づけで仕事を休んでいいことになっていた。そのため、普段は仕事をしているモデルたちの予定を気にしなくていいという好条件だった。
しかし、撮影は難航した。
最終日に訪れたシャッターチャンス
滞在期間は8日間。昼間の光は強すぎるため、撮影は朝と夕方、太陽が昇るか、沈む時間帯に限られる。その条件で撮影に適した場所は少なく、ロケハンに時間を要する。にもかかわらず、最初の3日間は大雨。「この時期は雨なんか降らない」と言われていたのに、思わぬ停滞となった。
マルケサス諸島は隔絶された島なので、物資を運ぶ船が寄港するのは1カ月に一度。その分、物価が高く、コーラ1本500円、レッドブルは800円。1日2食付きの民宿は、スタッフひとり当たり1泊5万円もした。この物価高のなか、雨で待機を強いられて、もどかしさが募る。
そのうえ、透き通るような海に囲まれ、豊かな自然に恵まれた島ながら、沿岸は思った以上に人工物が多く、ここ!というロケーションがなかなか見つからない。ジミー・ネルソンもヒバオア島の島民を撮影しているのだが、わざわざモデルを違う島に連れて行って撮影したというから、写真家泣かせの島なのだろう。島のなかをぐるぐる巡り、納得できる場所が決まったのは4日目のことだった。

撮影は、4日間に及んだ。その間、毎日のように、ある場所に逆光が差し込むのを待っていた。しかし、思ったようなシーンが訪れない。昨日もダメ、今日もダメ。ジリジリしているうちに、帰国の日が近づく。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら