戦前の北海道で目撃、ヘビを狙う「鷹と鱒」の死闘 ヘビが呑み込めない程の巨大鱒に遭遇した実話

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また魚が上がってきた。やはり鱒だ。数匹はいる。背鰭で水面を切るほどに浮き上がり、時にギラッと閃いて体を反転させたかと思うと、その中の1匹が飛沫とともに跳び上がった。なんと、鱒の側も、蛇を狙っているのだ。

死闘

鱒の背鰭が水面から出たとき、蛇はサッと鎌首を伸ばして襲いかかる。すると、すかさず鱒が蛇に跳びつく。だが、そのときにはもう蛇は首を引っ込めており、両者とも相手を捉えきれぬまま鎬(しのぎ)を削っている。しかし私は、この戦いは鱒のほうに分があると見た。なぜなら、蛇がからみついているヤチダモの木は、細いうえに、鎌首を伸ばすたびに撓るほど弱々しい。これでは足掛かりにすらならないのではないか。

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そのうち、うまくタイミングが合ったらしい、蛇の牙が浮上した鱒の背鰭に掛かった。動きを遮られた鱒はバタバタと水面でもがき、それを持ち上げるべく蛇が首を引こうとした。だが、鱒の重みが加わって、ヤチダモの木は水面近くまで撓い、みるまに下がっていった。

そのとき、別の鱒が横から蛇に跳びついて首根をくわえ、ガバッと一跳ねした。ヤチダモの梢が蛇の頭部もろとも水中に潜り、しばらくして木が元の位置に跳ね上がったときには鱒の姿はなく、首をだらりと下げた蛇が胴体を鈍く動かしながら頭部を引き上げようと足搔いていた。

一瞬後、深みからまっしぐらに浮上した鱒が、水面を割って高々と跳び上がり、蛇の頭をくわえるや飛沫を上げて落下した。またもや木が撓って、蛇の頭は水中に没し、木が跳ね上がると、再び鱒が跳びかかって蛇を水中に引き込んだ。

こんな攻撃を幾度も繰り返されて、蛇はしだいに膂力(りょりょく)を失い、やがて木にからみつけた胴体が滑るように伸び始めてズルッ、ズルッとみるまにほどけ、しまいには何の抵抗もなくスーッと水中に引き込まれていった。

いくばくも経ずして蛇はロープ状の物体のように浮き上がり、水面にたゆたうかに見えたが、それを追って深淵から迫った鱒にがっちりとくわえられ、水底へ消え去った。波紋が広がって岸に達すると、辺りは急に静まり返った。

2人はしばらくその場に佇み、黙りこくったまま青い溜りを見つめていた。私には、たった今、目にしたことが白昼の夢であったかと、あるいは見てはならぬものを見てしまったかのように、思えてならなかった。

鱒は、あの大鷹と同様に蛇を喰うのだろうか。蛇は、丸呑みにできそうもない大きな鱒に、なぜ戦いをいどんだのであろうか。いくら考えても自分には判らない。いったい、この原生林に覆われた山々に自分が知らずにいる事柄はどれほどあることか―私は、そんな思いを胸に刻みつつ、友ちゃんとともに帰りみちを急いだ。

今野 保
こんの たもつ / Tamotsu Konno

1917年、北海道早来町生まれ。奥地での製炭業を経て、1937年から26年間炭鉱に勤務。その後、室蘭にて土木会社を設立。1984年に事故で右手を負傷するが、入院中に左手で文字を書く練習を行い、その後、執筆活動を始める。著書に『アラシ―奥地に生きた犬と人間の物語』『羆吼ゆる山』『秘境釣行記』(いずれもヤマケイ文庫)がある。2000年逝去。

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