「御上先生」あえて"間違った板書"をする深い理由 板書のミスを見つけてもらうことで得る学び
そもそも御上先生は、なぜわざわざ一度板書のミスを生徒たちに見つけさせる授業をしていたのでしょうか。それは、生徒に板書をきちんと「考えながら」ノートに書き写しているかどうか、を問うためです。
数学の授業においては、先生が説明している解法や計算をただ単にノートに書き写しているだけで時間が過ぎてしまう生徒が、どうしても多くなってしまいます。
先生の考えを汲み取ることが大切
でもそれでは、授業の内容を理解した、とは言えませんし、生徒の成績も中々上がりません。授業の内容を本当に理解するには、授業内で「なぜその解法がこの問題を解くために使われるんだろうか」とか、「ここの計算はなんでこう変形できるんだろう?自分でやってみよう」といったように、黒板に書かれている事実だけを見るのではなく、板書をしている先生の考えをきちんと汲み取って、自分で手を動かすことが重要なのです。
私は、東京大学の理学部物理学科に所属しているのですが、この学科には、「電磁気学」とか「量子力学」といった普通の授業のほかに「物理学演習」という授業があります。これは、授業の進度に合わせた演習問題を解いて発表する授業です。この授業を通じて「授業ではなんとなく概念や理論はわかった。じゃあ演習の授業で実際の問題にあたって理解を深めよう」というように、理論と現実の橋渡しができるようなカリキュラムが組まれているのです。
自分で考えて、授業を理解することの重要性を生徒に気づかせるため、このシーンにおいて御上先生は、わざと解法の一部を間違えた板書しているというわけですね。実際、これと同じ手法で勉強を教えている進学校の先生もいて、そうしたクラスの生徒だと成績が上がっています。
「ただ書き写すだけだったら、スマホで黒板の写真を撮って終わりにすればいい。でも、どこか間違っているところはないかと思って考えながら書き写していくと、自然と頭に入ってくる」という言葉のとおり、ただ書き写さないで、考えながら板書を書き写す勉強法はとても効果があるわけですね。
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