また『脚本家 坂元裕二』(Gambit)という本の中の「名ゼリフ集」というページを見ていると、例えば「人は、手に入ったものじゃなくて、手に入らなかったものでできてるんだもんね」(『anone』)なんて言い回しにドキッとしたりする。
「坂元パンチライン」はこういうテイストばかりではない。『最高の離婚』で、JUDY AND MARYの『クラシック』という曲について、真木よう子が瑛太に言われたとされる「何このくだらない歌。安っぽい花柄の便座カバーみたいな音楽」という強烈な比喩は、別の意味で忘れられない。
坂元裕二の作品は、このように研ぎ澄まされたセリフ、言葉のエンタテインメントに没入する素敵な時間を提供する。
日々接する文字量・言葉量は増えているが…
ひるがえって我々の実生活が、言葉と疎遠になってきているわけではない。むしろ10年前と比べて、日々接する文字量・言葉量は、幾何級数的に増大しているはずだ。無論、ネットやSNSを経由して、である。
しかし、その内実は、言うまでもなく、研ぎ澄まされた「坂元パンチライン」とは真逆の、あざとく嫌らしくギザギザ尖った文字列で占められている。
かくいう私も、このようなネット記事を書くにあたって、もちろん明快で読み心地のいい文章を心がけるものの、それでもその中に、アクセス数を喚起するようなツボを何とか組み込めないかと、ついついあざとく嫌らしく思い巡らせてしまう。
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