「渋谷→新大久保」若者の街が変遷した本質理由 街全体で「韓国のテーマパーク」への変貌を遂げた

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すぐ裏手にある(どちらかといえば新大久保が裏手なのだろうが)新宿歌舞伎町にコリアンクラブができはじめ、そこで働く人々が住み始めたのが新大久保だったのだ。そんな彼女たちのために生まれたのが、小さな韓国料理店。これが新大久保のコリアンタウンの始まりだった。

そんな小さな韓国人街が広く注目されるようになるのが、2002年の日韓ワールドカップのとき。多くのマスコミが新大久保に詰めかけ、レストランで日本人と韓国人がワールドカップを共に見ている映像を報道した。

その翌年の2003年、ぺ・ヨンジュン主演の『冬のソナタ』が大流行。そんな「ヨン様」ファンが、韓国を求めて新大久保に大挙し、「観光地的コリアンタウン化」が進んだ。

それをきっかけに、日本人相手に「韓国的なるもの」を売り出す需要を見込んで韓国からも多くの人々がやって来て店を開き、ますます、その「観光地化」は進んでいく。

そして時代が流れ、2010年代にK-popの一大ブームが起きると、それと連動して、多くの若い女性たちが押し寄せるようになる。さらに2018年あたりになると、BTS(防弾少年団)の大ブームなども相まって、ますます若い人が増える。そうして、今につながる新大久保の活気が生まれたわけだ。

新大久保は、「韓国的なるもの」を求める人々のニーズに応じながら、そこに「集中」的に彼らを満足させる店を開いていく。新大久保において「選択と集中」のプロセスは、自然発生的に起こってきた。時代の偶然も重なる中で、だんだんと韓国好きに向けた店が「集中」し、それがそこにくる人々を「選択」し、それがさらなる「集中」を招く。

室橋は、『ルポ新大久保』でこう書いている。

中高生くらいだろうか、女の子たちが行列をなし、おじさんとしては居場所がなく、挙動不審におろおろしてしまう。 (p.164)

室橋がここで感じているのは、ある種の「居心地の悪さ」だ。これは、裏返せば、そこにいるのにふさわしい人々は、「おじさん」ではない「中高生くらいの女の子たち」ということになる。

結果的に、客層の「選択」が非常にうまくいっているわけだ。

そこで働く人が街の雰囲気を作る

しかし、どうして新大久保はこのような街になることができたのだろうか。それには、新大久保の歴史が関わっていると思われる。

新大久保について室橋は、興味深い指摘をしている。新大久保は、1980年代以降に生まれた新しいコリアンタウンで、確たる歴史を持っていない、というのだ。

少なくとも、大阪の鶴橋や、東京の三河島などに比べれば、新大久保はずいぶん異なる空気感を持っている。それは、ここが「ニューカマー」の街だからだという。他のコリアンタウンに比べて、守るべき伝統がないだけに、自由に「韓国」を求める人々の要望に応えることができたわけだ。

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