栗山英樹氏が禅僧に伝えた「勝負運」をつかむ習慣 神様や天が味方する「生き方」を身に付けるには
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人知と人知を超えたもの
栗山:昔、三原脩さんという方がいました。職業野球、つまり現在のプロ野球の契約第1号となった方で、読売巨人軍や西鉄ライオンズなど5球団で監督をされました。6年連続最下位だった大洋ホエールズを監督就任1年目で優勝させ、その采配は「三原マジック」と呼ばれました。監督を退いてからは、日本ハムファイターズの球団社長も務められました。
僕は三原さんの野球にすごく興味があったのですが、この三原さんが「運」に関する本を出されているんです。
横田:ああ、そうなんですか。
栗山:そういうところにも三原さんに傾倒した理由があります。僕は勝負に勝つためには運をどう引き寄せるかがすべてだと思っていました。ですから、監督になってからは運に関する本を何冊も熟読しました。運というものにすごく惹かれるところがあって、どうすればそれをチームに持ち込めるかということが監督としての最大のテーマだったんです。
横田:なるほど。50歳で将棋の名人位を獲得した米長邦雄さんは、大きな勝負の前に必ず自分の運がよかった場所に行って、そのときの感覚を皮膚で感じてから対局に臨んでいたという話を聞いたことがあります。
栗山:それはよくわかります。僕が野球以外で尊敬する球団経営に携わる人間がいるんですけれど、彼も大事な決断をするときには、日本初のプロ野球球団である大日本東京野球倶楽部(現在の読売巨人軍の前身)がスタートした東京・銀座の数寄屋橋に行って、どうするべきか熟考すると話していました。
プロ野球の先人たちの運をいただきながら決断するんだと。僕の周りを見ても、球界にはそういう運を大事にする人がすごくたくさんいるように思います。
横田:やはり勝負の世界だからでしょうか。
私が運というものについてずっと考えてきて思うことは、世の中には必ず相反することが2つ同時にあるのではないかということなんです。人間の努力によってなんとかなる世界もありますし、人間には計り知れない何ものかが働いて動いていく部分もあるような気がします。
この2つによって世の中は成り立っていると思うのですが、人知を超えたものがなんであるか人間にはわかりません。だから、人間は神様というものを考えたり、験(げん)を担いだりするのではないでしょうか。
運を動かすような生き方をする
横田:運についてわからないところは人間の発想や理論の及ばない世界ですから、何をどうやったところでわからないのですけれども、それを解明しようとして、易という法則を見いだしたり、宗教や信仰を生み出したのではないか。構造的に見ますと、そんなふうに整理できるのではないかと近頃は思っているんですけどね。
栗山:ああ、よくわかります。
横田:監督の本(『信じ切る力』〈講談社〉)には「運を動かすほどの努力をする」と書いてありましたけれども、1つの道を成し遂げた人は皆、「天が味方をしてくれた」と言いますね。
監督も先ほど神様や天が味方してくれるとおっしゃいましたけれど、おそらく野球の神様が味方をしてくれるような生き方を常にしているのではないでしょうか。それがWBCの優勝という形で結実したようにも感じます。
栗山:今、管長が言われた通りかもしれません。僕はたいして能力のある人間ではありませんけれど、WBCのときは確かに天が味方してくれたように感じました。その根底に日頃の行いがあったと断言することはできませんけれど、なんとか運を引き寄せようと、野球をしていないときも含めて努力をしていたことは間違いありません。その結果、見えない何ものかの計らいによって勝たせてもらったようにも思います。
そもそも、そんなことでなければ、僕のような人間がジャパンの監督になるなんてありえませんし、ましてやチームが世界一になるなんて考えられません。