2000年にはフィーゴの移籍金を調達するにあたり、ペレスは個人的にローンを組んだ。レアル・マドリードは当時の練習場の売却益を、翌シーズン以降にほかの複数のスター選手獲得に充てた。ペレスが期待したのは、スターの獲得により自己強化の傾向(ビジネスコンサルタントの言葉を借りれば、「好循環」)を引き起こすことだった。そうすれば、スター選手たちがチームの成績を向上させるのみならず、新たなファンを生み出して、スポンサーや広告主の目に触れる機会が多くなり、世界屈指のクラブとしてのブランドを確立できると踏んだのだ。
そしてあっぱれにも、ペレスはそれを成し遂げた。レアル・マドリードの華やかなブランド価値はその後、チケット販売やテレビ放映権、スポンサーシップ、マーチャンダイジングなどの多様な収入源でチームを潤した。それが、引き続きスーパースターを入団させるリソースをクラブにもたらした。このアプローチの背景にありチームの中核を成したのは、あるクラブの幹部が述べたように、「最高の選手は採算が取れる」というものだった。
ブロックバスター戦略との関連性は明らかだ。商品の支持者になりそうな人が増えるほど、活用できる収益の窓口が増えるほど、企業は商品に対する多額の投資を正当化できるようになる。この場合、商品とはピッチに立つ選手たちだ。20世紀半ば、レアル・マドリードは最高の選手を獲得するために、もっと単純な仕組みに頼った。スタジアムの規模を大きくしたのだ。
1943年に会長に選出されたベルナベウは、当時、スペイン最大の競技場を建設して7万5000人を収容可能にするとともに、資金調達のためにファンに債権を売った。試合のために基本となる最大の「流通チャネル」(当時はテレビのようなマスメディアは存在しなかったので、スタジアムでの経験を指す)を築くことで、レアル・マドリードは引く手あまたの選手たちに投資する体制を整えた。
2000年代の初め頃には、スタジアムでの試合観戦をはじめとして、テレビ放送、レアル・マドリード独自のテレビ局、オンライン・チャネル、公式ウェブサイト、クラブのブランド商品を売るストアといった媒体に至るまで、クラブの戦略にいくつものチャネルが含まれるようになった。レアル・マドリードは、クラブの中核となるコンテンツを活用すべく、マーケティングの基盤全体を構築したのだ。個人の肖像権から得られる収入の半分をクラブに差し出すようスター選手に求めることもあった。
サッカー・マネーリーグの頂点に立つ
レアル・マドリードの収益の内訳を見れば、スーパースター重視の戦略が過去10年間でチームの収益をどれほど伸ばしたかよくわかる。ペレスにとって会長就任後初のシーズンにあたる2000~2001年の収益は、およそ1億2500万ドルだったのに対し、2005~2006年の終わりには、3億5500万ドルにまで伸びた。
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