スポーツ報道の「見どころ至上主義」は限界だ

日本のスポーツジャーナリズムの不可解さ

ジャイアンツ対ドジャース メジャー初登板で力投する野茂英雄。打者はジャイアンツのバリー・ボンズ選手(写真:1995年5月2日撮影、キャンドルスティックパーク:日刊スポーツ/アフロ)
テレビのコメンテーターとして活躍する竹田圭吾氏は、雑誌の編集記者時代には米国メディアの報道現場に触れ、スポーツ専門誌の記者も経験している。日米のスポーツ報道への取り組み方の違いなど、当時の経験を活かしながら、日本のテレビにとってのスポーツジャーナリズムとは? 問題があればどこに?といったテーマで寄稿してもらった。

日本のスポーツ報道の不可解

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個人的に日本のスポーツジャーナリズムの不可解さに気づいたのは1995年。日本のプロ野球を飛び出した野茂英雄投手が、大リーグで初めて出場する試合を現地で取材したときだ。

当時、週刊誌の『Newsweek日本版』で編集記者をしていた私は、長期研修でニューヨークにいた。ロサンゼルス・ドジャースに入団した野茂の記事を書くために西海岸へ飛び、サンフランシスコの球場での初登板をスタンドの記者席から見守った。驚いたのは試合後の会見で、日本から押し寄せたテレビや新聞の記者たちが、野茂に「31年ぶり史上2人目の日本人メジャーリーガーになった気分は?」と繰り返し尋ねたことだ。

野球ファンや野茂自身にとってその日最も重要なことは、野茂がどんなピッチングをし、それを大リーグの選手やコーチや野茂自身がどう評価したかであって、歴史に名前を刻んだことではない。案の定、会見場に座る野茂はずっと「なんでそんなバカなことを何度も聞くの?」という表情をしていた。

当時の日本のスポーツマスコミが、その試合の後もずっと野茂を社会現象としてのみ扱ったわけではない。ただし「海を越えた挑戦」という部分にニュースバリューを置く島国根性と、競技そのものの魅力をありのままに伝える意識の希薄さが日本のメディアを覆い続けていることは、ゲームの内容などそっちのけで日本人選手の成績だけを断片的に伝える「注目選手至上主義」的な報道がいま現在も行われていることをみればわかる。

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