「トランプ再び」を機にアメリカ信仰からの脱却を 「グローバル化の終わり」の先にある2つの方向

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もちろんアメリカが日本にとって貿易上の重要なパートナーであることは確かだが、その比重は低下しており、他方で中国や東南アジア、インドなどアジア諸国等の比重が高まっているのも事実である。したがって過度な依存ではなく、「分散」という視点で考えていくことが重要であり、かつ戦略としても「現実的」と言える。

私は今から20年以上前の2004年に『脱「ア」入欧――アメリカは本当に「自由」の国か』(NTT出版)という本を公刊した。ここでの「脱『ア』入欧」という言葉は、「アメリカとの関係性を相対化し、『欧(Eurasia)』つまりアジアやヨーロッパとの関係をこれまで以上に重視していく」という趣旨のものだが、以上のような点からも、「脱『ア』入欧」というテーマをさまざまな角度から考えていくことが重要になっているだろう。

2つの「後発国家」と“純粋”な資本主義vs.社会主義

ところで、本稿の冒頭でアメリカという国、そしてトランプ政権の理念や価値観を4つの論点として示し、そのうちの①(市場主義)と②(限りない拡大・成長志向)は合わせるとそのまま「資本主義」の定義と重なると述べた。要するに、アメリカという国ないし社会は一言で言えば“純粋な資本主義”と呼びうる国ないし社会ということだ。

一般に、およそ社会というものは「市場-政府(公的部門)-コミュニニティ」(あるいは「私-公-共」)という3者の適切な組み合わせないしバランスで成り立っていくべきものと考えられるが、このうち圧倒的に「市場」を重視するのが資本主義というシステムである。

これに対し、「市場」ではなくむしろ「政府」に軸足を置いて社会をつくっていこうとするのが他でもなく「社会主義」の理念だった。

そして資本主義の理念ないし思想が実質的に生まれたのが17~18世紀のヨーロッパだったとすれば――その一つの象徴は思想家マンデヴィルの著作『蜂の寓話』であり、マンデヴィルはこの中で「私利の追求」こそが社会全体を豊かにすると論じた――、それに対するアンチテーゼとして19世紀のヨーロッパで生まれたのが社会主義の思想だったわけである。

このように記していくと、慧眼の読者はお気づきのとおり、その社会主義の理念を現実の社会システムとして初めて実現させたのが(ヨーロッパないし近代化における“後発地域”たる)ロシアだった。一方アメリカは別の意味でヨーロッパに対する後発国家と言える。

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