「トランプ再び」を機にアメリカ信仰からの脱却を 「グローバル化の終わり」の先にある2つの方向
そこでは自ずと経済(エコノミー)が最優先事項となり、③で挙げるような「環境」や「福祉(富の再分配を通じた格差是正)」といった関心は隅に置かれるか完全に視野からはずれることになる。気候変動に関するパリ協定からの離脱をトランプが早々と宣言し、石油等の採掘に関する規制を撤廃する方針を示しつつ、選挙キャンペーン中の演説で“Drill, baby, drill”(もっと掘れ、掘れ)とのフレーズを繰り返していたのもこうした方向に関するものだ。
そしてこれらの根底にあるのは、④の「『強さ(パワー)』への信仰」と言えるだろう。私は1980年代末と2001-02年と3年間アメリカに滞在したが、政治、経済、社会、文化や芸術等あらゆる領域を通じてアメリカ社会の根底にあるのがこの「『強さ(パワー)』への信仰」であることを痛感した。
「力」にはその物理的行使あるいは暴力も含まれる。トランプに関して言えば、前回の大統領選で敗れた際の議事堂襲撃事件もそうだし、銃規制への反対も同様である。
そしてこれら①~④を通じて、「トランプ政権とは、アメリカという国ないし社会の実質的な理念や価値観をストレートに体現する存在」ということを先ほど述べた。
アメリカ社会の“分断”ということがしばしば論じられるように、アメリカには強い「反トランプ」勢力が存在することは事実であり、それは民主党支持層であったり他のグループだったりする。
しかしそうした層を含めて、アメリカという国ないし社会が全体として、あるいは他の先進諸国(とりわけヨーロッパ)との比較において、①~④の志向がきわめて強い社会であることは確かであり――それは社会保障システムのあり方や環境政策、経済格差の大きさ等に如実に示されている――、こうした意味において、トランプ政権はもっとも「アメリカらしい」思考様式をもった、あるいはアメリカという社会の特質をもっとも“純粋”に反映した政権と言えるのである。
「アメリカ信仰」からの脱却
以上の点を踏まえて私がまず主張したいのは、日本あるいは日本人の中になお残る、“アメリカはすばらしい国である”といった認識――「アメリカ信仰」と呼びうる思考回路――からそろそろ卒業すべきという点だ。
いま「なお残る」という表現を使ったのは次のような趣旨からである。
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