「トランプ再び」を機にアメリカ信仰からの脱却を 「グローバル化の終わり」の先にある2つの方向

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つまり端的に言えば、「ヨーロッパで生まれた資本主義および社会主義という思想を、それぞれ極端な(あるいは“純粋”な)形で実現させたのが、アメリカそしてロシアという後発国家だった」という理解が成り立つし、現にそうだったのである(このことは先ほど言及した拙著『脱「ア」入欧』でも述べた)。

そしてそうした「極端」な2つの国家あるいは社会が、(その広大な国土や資源・エネルギー、ひいては軍事力という「力」を背景に)“巨大”な存在になっていったのが20世紀であり、両者の「対立」が世界の基軸となったのがまさに「冷戦」という、20世紀後半の構造だった。それはすなわち、

●アメリカ   = 市場主義プラス限りない拡大・成長 
●ロシア(ソ連)= 計画経済プラス限りない拡大・成長

という対立だったと理解できる。

構造的に破綻を免れないシステム

現在はどうか。たしかに表面上はソ連は崩壊し社会主義は撤退したようにも映る。

が、それは実質的に国家主導の独裁的システムという形で存続しているのであり、この意味において、実は冷戦構造は今もなお続いていると見ることができる。ウクライナをめぐる状況もこうした文脈でとらえるべきだろう。

さらに「グローバル・サウス」という“南北”の軸が現在加わっているわけだが、これは(冷戦時代に)「第三世界」という理念が唱えられていた構造と通じるだろう。

そして私が見るところ、問題の根源は、以上に述べてきたような「純粋な資本主義」(アメリカ)と「純粋な社会主義」(その変質としての権威主義的独裁)(ロシア)のいずれもが、それぞれ「市場」そして「政府」という、社会全体の構成要素――先ほど指摘した「市場-政府-コミュニニティ」――の一部のみを肥大化させた、きわめて「いびつ」な社会システムであるという点だ。

この意味において、トランプのアメリカも、プーチンのロシアも、(その中身は対照的でありつつ)いずれも構造的に破綻を免れないシステムなのである。私たちが今後数年において、目にするのは、そうした事態の展開ではないか。

採られるべきは、ここで述べている「市場-政府(公的部門)-コミュニニティ」の3者、あるいは「経済(効率性)-福祉(公平性)-環境(持続可能性)」のいずれをも重視した、私が「持続可能な福祉社会(sustainable welfare society)」と呼んできた社会の構想と実現であり、ドイツや北欧などヨーロッパの一部では徐々に実現されつつある。

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