「トランプ再び」を機にアメリカ信仰からの脱却を 「グローバル化の終わり」の先にある2つの方向
先ほどから述べている「純粋な資本主義」「純粋な社会主義」との対比で言えば、それは「資本主義・社会主義・エコロジー」――あるいは市場・政府・コミュニティ――が融合ないしクロス・オーバーした社会像と言え、私自身はこれからの社会の姿は、地球社会の有限性という状況において必然的にこうした方向に収束していくと考えている。
グローバル化の「先」にある2つの道
最後に、「グローバリゼーション」というテーマとの関連について述べておこう。ここで私が指摘したいのは、「グローバル化の終わりの始まり」という視点だ。
冒頭にもふれたように、トランプ政権は各国に対する関税引き上げや移民規制の強化を掲げ進めつつある。この背後にあるのはもちろん(白人中心の)「アメリカ・ファースト」の理念であり、それ自体は“反グローリズム”的な考えに基づくものと言える。こうした展開を私たちは大きな文脈においてどのように理解すればよいのか。
ここで手がかりになるのは、数年前に実施に移されたいわゆる「ブレグジット(Brexit)」、すなわちイギリスのEU離脱をめぐる動きである。そしてここで浮かび上がるのが先ほど指摘した「グローバル化の終わりの始まり」という視点なのだ。
あらためて言うまでもなく、私たちが現在言うような意味での「グローバリゼーション」を最初に本格化させたのはイギリスである。
つまり同国において16世紀頃から資本主義が勃興する中で、たとえば1600年創設の東インド会社――株式会社の起源ともされる――に象徴されるように、イギリスは国際貿易の拡大を牽引し、さらに産業革命が起こって以降の19世紀には、“世界の工場”と呼ばれた工業生産力とともに植民地支配に乗り出していった。
その後の歴史的経緯の詳細は省くが、そうした「グローバリゼーションを始めた国」であるイギリスが、経済の不振や移民問題等の中で、グローバリゼーションに「NO」を発信するに至ったのが「ブレグジット」の基本的な側面と言えるのではないか。つまり逆説的にも、グローバリゼーションを最初に唱えた国が、その終わりをも最初に提起したのだ。
アメリカのトランプ政権も似た面をもっている。20世紀はイギリスに代わってアメリカが世界の経済・政治の中心となり(パクス・アメリカーナ)、強大な軍事力とともに「世界市場」から大きな富を獲得してきた。しかし中国をはじめとする新興国が台頭し、国内経済にも多くの問題が生じ始める中、トランプは政権1期目にもTPP(環太平洋パートナーシップ協定)からの離脱を実行し、今回の関税引き上げや移民規制など、まさに「グローバリゼーション」に背を向ける政策を本格化させている。
イギリスを含め、ある意味でこうした政策転換は“都合のよい”自国中心主義であり、グローバリゼーションで“得”をしている間は「自由貿易」を高らかにうたって他国にも求め、やがて他国の経済が発展して自らが“損”をするようになると保護主義的になるという、身勝手な行動という以外ない面をもっているだろう。
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