植民と移民の対立こそアメリカ大統領選の争点だ アメリカ社会の価値「寛容さ」は残るのか

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アメリカ・ニューヨークのエリス島。ここに移民博物館がある。1892年から1954年までの約60年にわたり、船で来た主にヨーロッパからの移民が必ず通過した島だ(写真・HIT1912/PIXTA)

アメリカという国を評して2つの見解がある。1つは、アメリカはメルティング・ポット(人種のるつぼ)であるというもの、もう1つはトマト・スープであるというものだ。

前者は文字通り、世界中からやってきた移民によって構成される社会を意味する。すなわちアメリカは、固有の文化をもたず、多種多様な文化が交錯している社会であるということだ。

このメルティング・ポット説をとる人々は、おそらく世界を自由に動くことができるエリート、あるいは大勢の移民を考えているのであろう。

人種のるつぼか、トマト・スープか

トマト・スープとは何か。それは、具材は異なるが、結局その味付けのベースは1つで、それはトマトというものである。アメリカに関していえば、世界中から多種多様な人間がアメリカに集まっているが、アメリカという国のベースには17世紀にアメリカに植民してきたアングロサクソン系の伝統があるというものだ。

こうした説をとる人々は、WASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)を誇りにする人々であるか、少なくともこうしたアメリカ的伝統になじんだ人々である。

アングロサクソン系のベースをつくった人々はそもそも移民ではなく、植民であり、これまでにない新しい国家をアメリカにつくった。アメリカはその意味で、アングロサクソン以外の移民が来る19世紀後半になるまで単一文化の国であったというのだ。

しかし、その後もプロテスタント、白人、アングロサクソンであるという単一のベースがアメリカを支配していたことに変わりはない。われわれがもつアメリカのイメージは、移民という具材によって変化していった、アングロサクソン国家なのかもしれない。

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