植民と移民の対立こそアメリカ大統領選の争点だ アメリカ社会の価値「寛容さ」は残るのか

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彼のいうアメリカン・マインドは、自由と平等という理念ではなく寛大さだというのだ。何ごとにも排他的ではなく、それを許す寛大さ、それこそアメリカをつくってきた理念だという。それが、行きすぎると、とんでもない結果をもたらすというのだ。

この書物は1960年代以降に変化した大学のあり方への批判の書であり、また学園紛争の空虚さを批判する書でもある。それはアメリカが培ってきた寛大さが横滑りし、個人個人の勝手な自由へと進んでいったことへの批判なのである。

アメリカの寛大さの中には、アングロサクソン的寛大さの伝統があり、それが建国の信条の中にある。それはよそから接ぎ木しても変わりようのない、根幹をなしている。アメリカにはアメリカ流のマインドがあるというのだ。

「国家、宗教、家族、文明の観念、そして無限の宇宙と個人とを媒介にしながら全体における位置という観念を提供してくれたあらゆる感情や歴史の力――いまやこうしたものすべて合理化されてしまい、有無を言わさぬかつての力を失っている。アメリカを国民共通の事業として体験するものはもはや誰もいない。アメリカは個人にすぎない人々が過ごしている枠組みとしか感じられず、人々は孤独のうちに取り残されている」(84ペ―ジ)

当然ながら寛大さ、すなわち寛容という概念すら、正義という言葉と並んで、きわめて西欧的、キリスト教的理念であるといえる。この理念をキリスト教徒でない者が、理解するのは難しい。

アメリカ社会の衰退と分断

もちろんアメリカ社会の分断は、信条の問題だけでなく、アメリカの世界における覇権の衰退という問題と深く関係している。アメリカが、世界に君臨する豊かな国家であれば、それがアングロサクソン的であれ、なんであれ、人々は唯々諾々と従うはずである。

しかし、今のアメリカはそうではない。アメリカのエリートが、アングロサクソン的寛大さを高らかに唱えようと、また多民族主義的寛大さを唱えようと、胃の腑の欲望を満たすことで精一杯である限り、それに関心を持つことはないであろう。

しかしアメリカの分断が、ハンチントンやブルームといったエリート層の懸念であるかぎり、一般の庶民にそれはあまり響いてこない。分断は、一方で貧困層と富裕層の分断であることも間違いない。

今や貧困層にも植民者の血を引くものが多くいる。彼らがアングロサクソン的な信条の体現者であることは間違いない。その彼らが、アメリカで苦悩しているのである。

分裂の原因は、実際には信条の問題だけでなく、アメリが保証したはずの富の分断の問題であることも、けっして忘れてはならないだろう。その問題が2024年11月の選挙でどう反映されるかが、大統領選を左右することになろう。

的場 昭弘 神奈川大学 名誉教授

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まとば・あきひろ / Akihiro Matoba

1952年宮崎県生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。日本を代表するマルクス研究者。著書に『超訳「資本論」』全3巻(祥伝社新書)、『一週間de資本論』(NHK出版)、『マルクスだったらこう考える』『ネオ共産主義論』(以上光文社新書)、『未完のマルクス』(平凡社)、『マルクスに誘われて』『未来のプルードン』(以上亜紀書房)、『資本主義全史』(SB新書)。訳書にカール・マルクス『新訳 共産党宣言』(作品社)、ジャック・アタリ『世界精神マルクス』(藤原書店)、『希望と絶望の世界史』、『「19世紀」でわかる世界史講義』『資本主義がわかる「20世紀」世界史』など多数。

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